日本歴史地名大系 「田立村」の解説 田立村ただちむら 長野県:木曾郡南木曾町田立村[現在地名]南木曾町田立木曾郡の南端で岐阜県境に位置し、地勢も東濃(とうのう)平野の影響を受け木曾川右岸の段丘上に標高四〇〇メートルほどの平地が開け、そこに耕地や集落が散在している。木曾川を隔てて東は三留野(みどの)村、西は山口(やまぐち)村に境し、南は美濃国坂下(さかした)村(現岐阜県恵那(えな)郡坂下町)、北は同じ木曾川右岸の柿其(かきぞれ)村と境する。田立の地名が記録の上に現れてくるのは、「岐蘇古今沿革志」に木曾家村が「木曾中谷(ちうこく)を城となし妻籠に城を築き馬籠(まごめ)・田立(ただち)・西野(にしの)・奈川(ながわ)・王滝(おうたき)に砦塞を構へ」とでているのが初見である。次いで宝永三年(一七〇六)の「木曾考」に収録されている天文六年(一五三七)木曾義勝が原蔵人佐に与えた宛行状に「田立村之内、野中之地下五貫文之分」とあり、天正五年(一五七七)武田勝頼が山村良利に与えた朱印状には「信濃境目田立口出合事、一月六ケ度定日限可令会合」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by