田茂木村(読み)たもぎむら

日本歴史地名大系 「田茂木村」の解説

田茂木村
たもぎむら

[現在地名]中里町田茂木

岩木川右岸の自然堤防上に立地し、西は福井ふくい村、北東川内かわち村、東は蘆野あしの村、南西は岩木川を隔てて下繁田しもしげた(現西津軽郡稲垣村)に接する。

金木新田一八ヵ村の一つで、享保一二年(一七二七)には村位は下で免は六ツ成であった(平山日記)。元禄年間(一六八八―一七〇四)の開村と推定されるが不詳。元文元年(一七三六)検地帳によれば、田方三五町四反九畝五歩、畑方二町七反九畝二九歩、田畑屋敷合せて三八町二反九畝四歩、村高二二六・五六石とある。上田はわずか八反二畝二二歩で、中田なく下・下々田合せて三四町六反六畝一三歩。文化六年(一八〇九)の藩吏覚書(中里町誌)によると、田方五三町五反九畝二八歩、高三〇五・九八七石、畑方二町七反三畝九歩、高一六・三〇六石、戸数二六、人別一六六、馬五七とある。


田茂木村
たもぎむら

[現在地名]平内町田茂木

東は内童子うちどうじ村、南は山地、西は童子越の峠で浅虫あさむし(現青森市)と連なり、北は前高森まえたかもり(三四六メートル)藤沢ふじさわ村と境する。元禄二年(一六八九)の黒石平内巳年郷帳(市立弘前図書館蔵)に村高四三・九四三石、うち田方四〇・四七五石、屋敷方三・四六八石とあり、畑方がない。天保郷帳に村名がない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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