甲怒村(読み)こうのむら

日本歴史地名大系 「甲怒村」の解説

甲怒村
こうのむら

[現在地名]笠岡市甲弩こうの

走出はしりで村の東にあり、北は小田おだ川を挟んで小田村(現小田郡矢掛町)、東は阿部あべ山の山塊が張出し、小田川支流尾坂おさか川が北流する。史料上、甲奴・甲努・甲弩などとも記され、「コウヌ」とも訓じた。古代甲努こうの(和名抄)の遺称地で、条里制の跡も残る。川沿いで泥沼地が多く、地名は河沼・上沼が変化したともいわれる。応永元年(一三九四)仮託の吉備津宮惣解文写(吉備津神社文書)によれば、甲努郷より串柿一二〇連が長谷岡介によって納められている。永享三年(一四三一)には甲怒など四ヵ村の帰属をめぐる、大原来迎おおはららいこう院と同勝林しようりん(ともに現京都市左京区)との係争で、五月二五日幕府は、暦応三年(一三四〇)一二月四日の院宣の旨に任せ、来迎院に返付するよう決定している(御前落居記録)。吉備津神社の流鏑馬料足納帳によると康正三年(一四五七)分として二貫五〇〇文が納められ、うち一貫は地下得分、三〇〇文は路銭。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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