精選版 日本国語大辞典 「吉備津彦命」の意味・読み・例文・類語 きびつひこ‐の‐みこと【吉備津彦命】 記紀の所伝で、孝霊天皇の第三皇子。「日本書紀」によれば、崇神天皇一〇年、四道将軍のひとりとして、吉備国を平定。さらに同六〇年出雲国を征し、出雲振根を討つ。子孫は吉備氏として吉備地方に繁栄した。五十狭芹彦命(いさせりひこのみこと)。大吉備津彦命。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「吉備津彦命」の解説 吉備津彦命 『古事記』『日本書紀』によれば,孝霊天皇の皇子。彦五十狭芹彦命とも。母は倭国香媛。崇神天皇の代に,武埴安彦とその妻吾田媛が謀反を企て,それぞれ軍勢を率いて攻めてきたとき,吾田媛の軍を迎え撃ち勝利を収めた。こののち,四道将軍のひとりとして西道(山陽道)に派遣され,平定に成功したという。また出雲の神宝を朝廷に献上した飯入根が,これに反対した兄に殺されたとき,武渟河別と共にその兄の出雲振根を殺したという(『日本書紀』)。『古事記』では,大吉備津日子命の名で登場し,孝霊天皇のとき,若日子建吉備津日子命と共に吉備を平定したと伝えられている。岡山市には大吉備津日子命を祭神とする吉備津彦神社がある。 (寺田恵子) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉備津彦命」の解説 吉備津彦命 きびつひこのみこと 「日本書紀」にみえる孝霊天皇の皇子。本名は彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと)。崇神(すじん)天皇の10年四道(しどう)将軍のひとりとして西道(山陽道)に派遣され,吉備国を平定したという。岡山県の吉備津神社,吉備津彦神社の祭神。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by