日本歴史地名大系 「甲斐山口町」の解説 甲斐山口町かいやまのくちちよう 大阪府:堺市堺甲斐山口町[現在地名]堺市甲斐町東(かいのちようひがし)一―二丁甲斐町東隣、大寺(開口神社・念仏寺)西門前の山口筋を挟む両側町。元禄二年(一六八九)堺大絵図によると東頬一五筆・西頬三筆からなり、東頬は大寺西門で二分され、町会所は西門北脇にある。東頬北端には本龍(ほんりゆう)院祠堂屋敷が記される。同六年以前の四辻制では南本郷付町分(同八年堺手鑑)、南北二組制以降は南組山之口筋分に所属(堺市史)。寛政一一年(一七九九)の家数二三、石銀高二〇七匁余、家役一六(うち無役二)、町年寄は河内屋作左衛門(同書)。なお当町はもと大寺西門脇にあった海会(かいえ)寺にちなんで海会寺前(かいえじまえ)ともいう(申唱之町名「堺市史」所収)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by