日本歴史地名大系 「甲斐御房村」の解説 甲斐御房村かいごぼうむら 千葉県:我孫子市甲斐御房村中世の郷村名で、相馬(そうま)御厨黒崎(くろさき)郷のうち。現我孫子市西部の根戸法華坊(ねどほうかぼう)遺跡との関連を指摘する見解もあるが、比定地は未詳。元亨三年(一三二三)八月一二日の沙弥称恵譲状(薩藩旧記雑録)に「符河・押手・甲斐御房」とみえ、この三村の代官職が沙弥称恵から平盛資に譲渡されている。押手(おして)村(現茨城県利根町)は相馬御厨文間(もんま)郷(現同上)に属し、島津久経の妻尼妙智が父相馬胤綱から譲与された所領であったから、甲斐御房村も相馬氏から伝えられたものであろう。島津氏は相馬御厨内の所領を支配するために代官を起用したが、称恵もその一人であった。元徳三年(一三三一)島津貞久(道鑑)は「さむまの郡内」の「同かいのはうの村」を嫡子宗久に譲与しているが(八月九日「島津道鑑譲状」島津家文書)、宗久は暦応三年(一三四〇)死没、貞久が再び支配することになり、延文元年(一三五六)当村も足利義詮から安堵された(八月六日「足利義詮下文」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by