朝日日本歴史人物事典 「島津伊久」の解説
島津伊久
生年:貞和3/正平2(1347)
南北朝時代の薩摩国(鹿児島県)守護。師久の嫡子。上総介。父師久から貞治5/正平21(1366)年に同守護職を譲渡され,薩摩郡碇山城(川内市)を拠点とし山門院など薩摩国中北部を領した。が、鹿児島郡を掌握していた大隅国(鹿児島県)守護島津氏久は薩摩国内で軍事動員を九州探題今川了俊を通じて行っており,伊久と氏久は領国経営で補完的な関係にあった。永和1/天授1(1375)年の少弐冬資謀殺事件を契機に薩摩・大隅両国守護は了俊の手にわたるが,永徳2/弘和2(1382)年薩摩国守護に復職すると,子息守久と対立し,家宝類を陸奥守島津元久に譲渡した。奥州家による守護領国形成を認知した人物といえよう。没日には,4月6日(5月13日)との説もある。<参考文献>山口隼正「薩摩国守護」(『南北朝期九州守護の研究』)
(福島金治)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報