朝日日本歴史人物事典 「町井友之丞」の解説
町井友之丞
生年:生年不詳
寛政8(1796)年津藩一揆の指導者。祖先は伊賀国の領主筋と伝える。伊勢国(三重県)一志郡津藩領谷杣村組合頭を務めたが,一揆の張本人として処刑されたときに30歳に満たなかったといわれるので,生年は明和年間(1764~72)と推定される。津藩は,寛政4(1792)年に藩政改革として菓木役所を新設し,藩収を増やし,農村の疲弊を解決するため,借金の返済猶予や耕地の割替えなど幾つかの改革を進めようとした。しかし,領民は改革への反発を強め,全藩一揆に展開し,改革は失敗した。友之丞は一揆後,他のふたりと塔世川原で処刑され晒首になった。牢内から死後供養を頼んで,鼻紙に漢詩,辞世を認めた。「おそろしき屠所の陸路のけわしきも船にまかせる身こそやすけれ」はそのひとつである。<参考文献>深谷克己『寛政期の藤堂藩』
(深谷克己)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報