20世紀日本人名事典 「畑中蓼坡」の解説
畑中 蓼坡
ハタナカ リョウハ
大正・昭和期の俳優,演出家,映画監督
- 生年
- 明治10(1877)年5月21日
- 没年
- 昭和34(1959)年3月1日
- 出生地
- 高知市
- 本名
- 畠中 作吉
- 経歴
- 明治37年渡米、ニューヨークのアルピニー俳優学校に入る。その後日本人相手のアマチュア劇団に加わり、滞米13年。大正8年帰国して松井須磨子の芸術座に入るが、須磨子の死後、新劇協会を結成、「叔父ワーニャ」の初演などで演出家兼俳優として活躍。9年民衆座の「青い鳥」の演出に成功。正宗白鳥作「光秀と紹巴」の光秀は当たり役。昭和3年解散。また大正10年井上正夫、水谷八重子主演の映画「寒椿」で監督デビュー、無声映画の傑作の一つといわれた。その後、新国劇、新派などに俳優として出演したが、晩年は不遇だった。他の監督作品に「中山忠兵衛」(マキノ御室)、「ノンキナトウサン」(小沢得二と共同、連合映画芸術家協会)。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報