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松井須磨子 まつい すまこ

美術人名辞典の解説

松井須磨子

新劇女優。本名小林正子長野県生。坪内逍遙文芸協会演劇研究所第一期生となり『人形の家』のノラで認められる。島村抱月との恋愛のため文芸協会を退会、芸術座を結成し『復活』のカチューシャで人気を得た。抱月急死二ケ月後『カルメン』出演中にあとを追って自殺。著書に『牡丹刷毛』がある。大正8年(1919)歿、34才。

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デジタル大辞泉の解説

まつい‐すまこ〔まつゐ‐〕【松井須磨子】

[1886~1919]女優。長野の生まれ。本名、小林正子。文芸協会演劇研究所に入り、「人形の家」のノラ脚光を浴びた。のち島村抱月芸術座を組織し、「復活」「サロメ」「カルメン」などを主演して人気を博した。抱月の死後、あとを追って自殺。

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百科事典マイペディアの解説

松井須磨子【まついすまこ】

新劇女優。本名小林正子。長野県生れ。1909年文芸協会演劇研究所の第1期生となり,坪内逍遥島村抱月の指導を受け,《ハムレット》のオフィーリア,《人形の家》のノラの好演で注目をあびた。
→関連項目沢田正二郎中村吉蔵中山晋平山村聡

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

松井須磨子 まつい-すまこ

1886-1919 明治-大正時代の舞台女優。
明治19年11月1日生まれ。文芸協会演劇研究所の第1期生。「人形の家」のノラ役でスターとなる。恋愛関係にあった島村抱月(ほうげつ)と大正2年芸術座を結成し,翌年「復活」のカチューシャ役はその主題歌とともに好評を博した。抱月急死の2ヵ月後,大正8年1月5日あとをおって自殺した。34歳。長野県出身。本名は小林正子。
【格言など】強い自覚でなければ「人形の家」を打ちこわして「人間の家」に造りかえることは出来ないとおもいます(「牡丹刷毛」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

松井須磨子

没年:大正8.1.5(1919)
生年:明治19.7.20(1886)
新劇草創期の女優。長野県生まれ。本名小林正子。藤太とゑしの子。生年の月日については諸説ある。父の死後上京し戸板裁縫学校(戸板女子短期大学)へ通う。初婚に破れ,明治41(1908)年同郷の東京俳優学校英語教師前沢誠助と結婚。翌年文芸協会付属演劇研究所1期生となり,妻よりも女優を選び離婚。44(1911)年5月文芸協会第1回帝劇公演のオフィーリア役で初舞台。次いで同年9月,主役ノラを演じた『人形の家』は,女性解放を掲げた『青踏』発刊と機を同じくし大反響を得る。島村抱月との恋愛を理由に協会を諭旨退会となる。大正2(1913)年抱月と芸術座を旗揚げ,「モンナ・ヴァンナ」「復活」「サロメ」などに主演した。日本全国,朝鮮,中国まで巡演,「復活」の主題歌「カチューシャの唄」をはやらせ,新劇大衆化への道をつくった。7年抱月がスペイン風邪で急死すると,2カ月後あとを追って縊死した。<著作>『牡丹刷毛』<参考文献>戸板康二『松井須磨子』

(井上理恵)

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世界大百科事典 第2版の解説

まついすまこ【松井須磨子】

1886‐1919(明治19‐大正8)
新劇女優。本名小林正子。長野県松代に生まれ,上京して文芸協会の養成所を卒業,初公演の《ハムレット》のオフィーリアでみとめられ,続いて《人形の家》のノラ,《マグダ》(《故郷》)のマグダの大役で劇団のスターとなった。島村抱月との恋愛で協会を除名され,大学教授の座を追われた抱月と芸術座という劇団を1913年(大正2)に結成,女座長として以後毎公演の主役を演じ続けた。劇中歌を歌うのがその演出の特色で,特に《復活》のカチューシャ(〈カチューシャ可愛や〉の歌),サロメが評判であった。

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大辞林 第三版の解説

まついすまこ【松井須磨子】

1886~1919) 新劇俳優。長野県生まれ。本名、小林正子。文芸協会演劇研究所公演の「人形の家」でノラを演じ一躍劇壇に認められた。のち島村抱月の芸術座に参加、数々の公演で主演、特に「復活」のカチューシャ役で人気を博した。抱月病死の二か月後、あとを追って自殺。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

松井須磨子
まついすまこ

[生]1886.11.1. 長野
[没]1919.1.5. 東京
女優。本名小林正子。文芸協会演劇研究所の第1期生。 1911年帝国劇場における文芸協会改組後の第1回公演『ハムレット』でオフィーリアを演じ,続いて『人形の家』のノラ,『故郷』のマグダを好演し,新劇女優としての地位を確立。 1913年島村抱月との恋愛関係から諭旨退会の処分を受け,自発的に退会した抱月とともに芸術座を結成,『モンナ・バンナ』『海の夫人』『サロメ』『カルメン』『復活』などに主演。『復活』をもって新劇初の全国巡演を行ない,主題歌『カチューシャの唄』の大流行とともにスターとしての人気は不動のものになった。 1918年にスペイン風邪で急死した抱月のあとを追い,翌 1919年縊死。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

松井須磨子
まついすまこ
(1886―1919)

女優。本名小林正子。明治19年3月8日、長野県松代(まつしろ)に生まれる。17歳のときに姉を頼って上京、初婚に破れてのち、東京俳優学校の英語教師前沢誠助と再婚。1909年(明治42)に文芸協会演劇研究所第一期生となり、演劇に専心するため離婚した。11年5月、帝国劇場での文芸協会第1回公演『ハムレット』で演じたオフィーリアは予想以上の評判をとり、ついで同年9月、文芸協会試演場での本邦初演の『人形の家』(イプセン作、島村抱月(ほうげつ)訳・演出)におけるノラは、まさに新しい女優の出現を思わせるもので、同年11月の帝劇での同劇の公演は彼女の名声を決定的なものとした。翌年の『故郷』(ズーダーマン作)のマグダの演技も好評だったが、抱月との恋愛が文芸協会の厳しい戒律に触れて退会を余儀なくされた。13年(大正2)、協会幹事を辞した抱月とともに芸術座を組織し、以後数年間、『モンナ・バンナ』『復活』『サロメ』『カルメン』『闇(やみ)の力』などに主演。とくに14年の帝劇公演『復活』(トルストイ原作)は、劇中の主題歌「カチューシャの唄(うた)」とともに大ヒットし、彼女の人気は大衆の間にも高まり、一方では中村吉蔵(きちぞう)の『飯(めし)』など創作劇における演技でもかなりの評価を得た。18年11月に抱月がスペイン風邪(かぜ)で急逝すると、須磨子は翌年(大正8)1月5日、芸術倶楽部(クラブ)の舞台裏で縊死(いし)し、その後を追った。32歳。[松本伸子]
『河竹繁俊著『逍遙、抱月、須磨子の悲劇』(1966・毎日新聞社) ▽戸板康二著『松井須磨子』(文春文庫)』

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世界大百科事典内の松井須磨子の言及

【イプセン】より

…本格的上演の最初は1909年の小山内薫,2世左団次らによる〈自由劇場〉旗上げ公演《ジョン・ガブリエル・ボルクマン》(1896)であった。2年後の文芸協会の《人形の家》公演はノーラ役の松井須磨子をスターにし,折からの女性運動とあいまってイプセン・ブームのきっかけをつくった。夏目漱石,森鷗外,島崎藤村,有島武郎等々,多くの文学者が影響を受けており,その後もイプセン劇は新劇の重要演目として上演され続けている。…

【芸術座】より

…劇団名。(1)第1次は,1913年(大正2)文芸協会を恋愛事件で除名された島村抱月松井須磨子が創立したもので,モスクワ芸術座の名称を借りたといわれる。須磨子の演目に中山晋平作曲の主題歌を挿入したのが人気を呼び,とくに《復活》(トルストイ原作)の〈カチューシャの歌〉が名高い。…

【沢田正二郎】より

…滋賀県大津市に生まれ,東京で育った。早稲田大学在学中に坪内逍遥の文芸協会の研究生になり,《ベニスの商人》で初舞台を踏み,島村抱月・松井須磨子の芸術座創立に参加した。須磨子の相手役として《サロメ》のヨカナーン,《復活》のネフリュードフなどを演じたが,須磨子と対立して退座,新時代劇協会,近代劇協会に出演し,のちいったん復帰したものの,1917年4月再び脱退,倉橋仙太郎,金井謹之助,田中介二,渡瀬淳子ら同志とともに新国劇を結成した。…

【島村抱月】より

…逍遥と森鷗外との二元的文芸観の調和が文学史上のその使命であった。早大の文芸協会の演劇指導もしたが,女優松井須磨子との恋愛と逍遥との違和から家庭と母校に決別,13年須磨子とともに〈芸術座〉をおこし近代劇の普及に努めた。共著《風雲集》のほか,《新美辞学》《近代文芸之研究》や全集8巻がある。…

【新劇】より

…のちに〈帝劇附属技芸学校〉となる)のみであったから,ここに男女共学の近代的俳優養成機関が初めて実現したことの意義は大きかった。そして第1期生の卒業公演にも当たる《ハムレット》上演(1911)から解散の13年にいたるまで,文芸協会は活発な活動を行い,女優松井須磨子らを世に出した。逍遥はシェークスピア劇の移植と歌舞伎の改革を目ざし,また西欧近代を呼吸して帰国した弟子の島村抱月は,イプセンの《人形の家》など,逍遥以上に西欧近代劇の移入に熱心であった。…

【中村吉蔵】より

…東京専門学校(現,早大)在学中の1901年,小説《無花果》が《大阪毎日新聞》の懸賞に当選して認められ,06年渡米,イプセンの影響を受けて,帰国後新社会劇《牧師の家》(1910)を発表。13年芸術座創立に参加,《剃刀》(1914),《飯》(1915)等松井須磨子の当り役となった社会劇を提供し,脚本部主任として活躍した。その後《淀屋辰五郎》(1918),《井伊大老の死》(1920)等の長編歴史劇,《原始時代》(1924)等の現代劇,《星亨》(1927)等の伝記劇と大作が多く,また大正末から母校で演劇史を講じ,浄瑠璃・歌舞伎研究を集大成した《日本戯曲技巧論》(1942)がある。…

【人形の家】より

…イプセンは晩年,この劇は女性解放ではなく人間描写の劇だと言った。日本での初演は1911年の島村抱月の訳・演出によるもので,松井須磨子のノーラが評判になった。【毛利 三弥】。…

【ノーラ】より

…世界で最初のノーラ役はデンマークの女優ベティ・ヘニングスBetty Henningsだが,イタリアのE.ドゥーゼはじめ多くの大女優が好んでノーラを演じている。日本では松井須磨子が最初に演じた(1911)。女性解放雑誌《青鞜》がノーラの特集を組んで世間に訴えたが,無理解・反発も多く,特に男の側からは,家出しても〈野良(ノラ)犬〉になるばかりと揶揄されたり,婿が目覚めて家を出るパロディ劇が書かれたりもした。…

※「松井須磨子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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