畑栗寺
はたくるじ
三好郡内にあった寺院。天文二一年(一五五二)一一月七日の阿波国念行者修験道法度写(良蔵院文書)に「大西畑栗寺」とある。中世の田井庄大西郷は現山城町から池田町西部に比定されるので、当寺もその範囲内に所在したと考えられる。池田町シンヤマの山伏塚に廃寺跡の伝承があり、畑栗寺跡とする説もあるが、同塚も所在不明となっている。文明一五年(一四八三)三月二六日の旦那売券(熊野那智大社文書)の別紙および包紙の上書に阿波国上郡先達として「はたくるし」と記されており、熊野先達の拠点寺院となっていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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