日本の城がわかる事典 「畑谷城」の解説 はたやじょう【畑谷城】 山形県東村山郡山辺町にあった戦国時代の山城(やまじろ)。東黒森山とは尾根続きの標高549m、比高70mほどの館山山頂にあった。最上氏が本拠とした山形城の支城の一つ。最上氏の勢力圏だった村山地方と、伊達氏の勢力下にあった置賜(おきたま)地方の境界近くにあり、最上氏の防衛の最前線拠点だった。1600年(慶長5)、関ヶ原の戦いと連動した奥州出羽合戦で、西軍に属した上杉氏は直江兼続(かねつぐ)を大将として2万の大軍で、東軍に与した最上氏を攻撃した。その際、同城は最初の激戦地となった。城は2日間の攻防の末、城主の江口五兵衛光清が討ち取られ落城した。山頂に東西19m、南北29mの主郭があり、その周囲に帯状の郭が配され、主郭西側には三重の空堀が、東側には大規模な空堀や土塁が設けられていた。東側の大空堀は比較的良好な状態で残っている。主郭跡には城主の江口光清の碑と「畑谷合戦四百年」の記念碑が建てられており、南東麓の長松寺には江口光清の墓がある。フルーツライン左沢線羽前山辺から車。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報