畔柳都太郎(読み)クロヤナギ クニタロウ

20世紀日本人名事典 「畔柳都太郎」の解説

畔柳 都太郎
クロヤナギ クニタロウ

明治・大正期の英語・英文学者,評論家



生年
明治4年5月17日(1871年)

没年
大正12(1923)年2月20日

出生地
山形県山形市香澄町

別名
号=畔柳 芥舟(クロヤナギ カイシュウ),牛涎子

学歴〔年〕
東京帝大文科大学英文科〔明治29年〕卒

経歴
在学中「帝国文学編集委員。卒業後高山樗牛に代わり「太陽」文芸欄担当、「抒情詩の研究法」などを掲載。「反省雑誌」の文界時評を書き評論家として知られた。明治31年一高教授となり、英語を担当。「明星」などへ寄稿、大正5年「人文」に評論を書いたのを最後に「大英和辞典」(冨山房)の編纂専念著書「文談花談」「邦語英文典」「英語上達法百話」「向陵より社会へ」「世界に求むる詩観」、訳書「天才論」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「畔柳都太郎」の解説

畔柳都太郎

没年:大正12.2.20(1923)
生年:明治4.5.17(1871.7.4)
明治大正時代の英語教師,英語学者,文芸評論家。号は芥州。父は畔柳鉄衛,母ぎん。山形生まれ。5歳のとき父を失う。仙台の二高を経て帝大入学。大学院在学中に『帝国文学』に執筆,以後『太陽』『火柱』『明星』にも文芸評論を寄稿。明治31(1898)年から一高の英語教師。その間早稲田,青山学院,正則学校でも教えた。教え子豊田実,松浦一。明治41年からは『大英和辞典』(1931)編纂に心血を注いだが,完成前に病没。墓は山形市七日町の願重寺。『文談花談』(1907)は比較文学的著作。<参考文献>磯貝益子「畔柳都太郎」(『学苑』136号)

(加納孝代)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「畔柳都太郎」の解説

畔柳都太郎 くろやなぎ-くにたろう

1871-1923 明治-大正時代の英文学者,評論家。
明治4年5月17日生まれ。帝国大学在学中,「帝国文学」の編集委員となり,卒業後は「太陽」「反省雑誌」などに文芸評論を発表。明治31年一高教授。40年に刊行した「文談花談」は比較文学研究の先駆となった。大正12年2月20日死去。53歳。山形県出身。号は芥舟。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「畔柳都太郎」の解説

畔柳 都太郎 (くろやなぎ くにたろう)

生年月日:1871年5月17日
明治時代;大正時代の英語学者;文芸評論家
1923年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android