朝日日本歴史人物事典 「畔柳都太郎」の解説
畔柳都太郎
生年:明治4.5.17(1871.7.4)
明治大正時代の英語教師,英語学者,文芸評論家。号は芥州。父は畔柳鉄衛,母ぎん。山形生まれ。5歳のとき父を失う。仙台の二高を経て帝大入学。大学院在学中に『帝国文学』に執筆,以後『太陽』『火柱』『明星』にも文芸評論を寄稿。明治31(1898)年から一高の英語教師。その間早稲田,青山学院,正則学校でも教えた。教え子に豊田実,松浦一。明治41年からは『大英和辞典』(1931)編纂に心血を注いだが,完成前に病没。墓は山形市七日町の願重寺。『文談花談』(1907)は比較文学的著作。<参考文献>磯貝益子「畔柳都太郎」(『学苑』136号)
(加納孝代)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報