帝国文学
ていこくぶんがく
学術・文芸雑誌。1895年(明治28)1月~1917年(大正6)2月、1917年10月~1920年1月。全296冊。東京帝国大学文科大学の教官、卒業生、在校生によって1894年(明治27)に結成された帝国文学会を母体として発行された。初期は、高山樗牛(ちょぎゅう)の浪漫(ろうまん)性豊かな論説や、上田敏(びん)による海外の思潮・文芸の導入、多くの論者による新体詩論、国語国字問題の評論に特色がある。中期(1906~休刊)には世紀末思潮の紹介、象徴主義の提唱などに、片山正雄、樋口龍峡(ひぐちりゅうきょう)、和辻哲郎(わつじてつろう)らが活躍した。末期(復刊~終刊)は、森鴎外(おうがい)の『観潮楼(かんちょうろう)閑話』などのエッセイに特色があり、柳宗悦(やなぎむねよし)、福士幸次郎らが論じた。百科全書的な人文科学研究の場であるとともに、塩井雨江らの美文、夏目漱石(そうせき)『倫敦塔(ロンドンとう)』その他の小説、小山内薫(おさないかおる)らの戯曲を載せた文芸雑誌でもある。
[助川徳是]
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帝国文学
ていこくぶんがく
文芸機関雑誌。東京大学文科の関係者による文学団体「帝国文学会」が編集にあたった。 1895年1月~1917年2月,17年 10月~20年1月,計 296冊発行。高山樗牛,桑木厳翼らを中心に,土井晩翠,戸川秋骨,厨川白村,小山内薫,阿部次郎,和辻哲郎,豊島与志雄,久米正雄,芥川龍之介らが漸次参加していった。明治 30年代から 40年代にかけてロマン主義もしくは反自然主義の拠点となったが,総体的にはアカデミックな研究論文誌的色彩が強かった。井上哲次郎『日本文学の過去及未来』,矢野文雄『今の文学社会に対する希望の一ヶ条』,上田敏『細心精緻の学風』,登張竹風『フリイドリヒ・ニイチエを論ず』,片山孤村『神経質の文学』などの論文が多く,文学作品では夏目漱石『倫敦 (ロンドン) 塔』,芥川龍之介『羅生門』,山本有三『津村教授』など数編以外にはみるべきものがない。
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ていこくぶんがく【帝国文学】
雑誌。明治二八年(
一八九五)一月
創刊。大正九年(
一九二〇)一月まで通巻二九六号を
刊行。帝国大学文科(東京大学文学部の
前身)の
教員、学生、卒業生らで組織した帝国文学会の機関誌。高山樗牛、上田敏、
姉崎嘲風、登張竹風、大町桂月、森鴎外、夏目漱石、阿部次郎、久米正雄、芥川龍之介らが
執筆。評論、外国文学の紹介、創作などを内容とした。
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ていこくぶんがく【帝国文学】
学術文芸雑誌。明治28年(1895)創刊、大正9年(1920)廃刊。東京帝国大学文科大学の井上哲次郎・上田万年・高山樗牛・上田敏らが組織した帝国文学会の機関誌として発行。評論や外国文学の紹介などに貢献。
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帝国文学
ていこくぶんがく
明治・大正時代の学術・文芸雑誌(1895〜1920)
東京帝国大学文科系の教授・学生の文学上の作品・論説・資料を発表する機関誌。『三田文学』『早稲田文学』と対抗し,文壇で赤門派の拠点となった。
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ていこくぶんがく【帝国文学】
学術・文芸雑誌。1895年(明治28)1月創刊,1920年(大正9)1月終刊。全296冊。うち,1917年3~9月休刊。1894年12月,東京帝国大学文科大学の教官,卒業生,在校生によって結成された帝国文学会を母胎として発行され,編集は会員の互選による委員があたった。最高学府としての権威を自覚した使命感に裏づけられ,保守と啓蒙の二面的性格をその特色とする。第1期(創刊~1905)は国民文学創造の提唱,上田敏の活躍,新体詩論議,国語国字論などに特色があり,第2期(1906~休刊)は非自然主義的立場の強調,理想主義,象徴主義の論議,大正デモクラシーの風潮の反映などがみられ,第3期(復刊~終刊)は伝統主義論争などが特色である。
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