翻訳|lyric
( 1 )この語は「叙事詩」と同じく訳語として生じた。lyric の訳語は初期には「楽詩」「謡曲」などがあり、epic の訳語は初期には「史詩」「歴史歌」などがあったが、それぞれ「抒情詩」「叙事詩」に定着した。
( 2 )はじめは「叙情詩」とも書かれ、「抒情詩」と併用されたが、大正以降は「抒情詩」の表記が一般化する。
抒情詩は,叙事詩および劇詩と並んで,古来,詩の三大部門の一つをなしてきたが,この区分は多分に便宜的なものにすぎない。抒情詩そのものがそもそも厳密には定義しがたいものであり,ある事件の推移を忠実に追わなければならない叙事詩と対比して,個人の内心の主観的な感情や情緒を表現することに重きを置く詩を指すと一応はいうことができるとしても,叙事詩,劇詩のなかにも,その種の要素が濃厚に流れこんでいる場合はめずらしくない。とくに叙事詩,劇詩が衰退した近代・現代においては,詩はほとんどすべて抒情詩とみなすことができるし,抒情詩がすなわち詩を代表しているのが実情である
抒情詩と訳される西欧諸語の源はギリシア語にさかのぼり,リラlyra(竪琴)およびそれに関連するものを表すlyrikosに発している。つまり,この語はまず最初は竪琴にあわせて詩人がうたう歌を指していたのであり,詩人は作詞者であるとともに作曲者,演奏者でもあった。また詩人が合唱団の指揮者となって,宗教,祭祀等々にかかわる集団的感情を表現しようとする民衆を代表する立場に立つこともあった。いずれにしろ,詩は竪琴や笛で奏される音楽と結びつき,ときには舞踊が加わることもあった。ローマにおいても詩は音楽を伴っていたし,中世ヨーロッパの吟遊詩人の詩も,楽器に合わせて歌われた。詩が音楽から徐々に独立しはじめるのは,13世紀ころからのことであり,やがてペトラルカ,ロンサール,シェークスピア等のソネットをはじめとする短詩形の作品によって,近代ヨーロッパの抒情詩の基盤が形成されることになる。
古代ギリシア以来,詩は一定の音数律を基礎とし,脚韻,頭韻等々の規則にしたがう言語芸術であったが,主観的な個人表現という性格をつよく帯びた抒情詩が,しだいに地歩を広げるようになった中世以後,さまざまな抒情詩のジャンルがしだいに整えられる。頌歌(オード),悲歌(エレジー),賛歌,恋歌等々であるが,たとえば〈ピンダロス風オード〉という呼称もあるように,古代ギリシアで培われたジャンルが,発展的に継承された場合も多く,伝統はその面でも大きく働いている。またソネットをはじめ,バラード,ロンド形式等々いわゆる定型詩の形式も整備され,こうして近代ヨーロッパにおける抒情詩は,さまざまな形式上の規則のもとで感情・情緒を表現する言語芸術として,文学のもっとも重要な部分を占めるのである。
感情・情緒を表現するといっても,感情・情緒の種類は多種多様であるが,抒情詩の主題という点からすれば,それは集団的なもの,個人的なものに大別することができる。集団的な感情・情緒というのは,たとえばピンダロスに見られるような,多くの人々に共通する英雄賛美を歌うことである。同じように,多くの人々に分有されているはずの感情として,神々をたたえたり王公への信従を表明したりすること,祖国や人類に対する愛を披瀝(ひれき)すること,宗教的表情を吐露すること等々を,詩人たちは行ってきた。
個人的な感情にもとづく主題をすべて類別することは,要するに人間の感情の種類を列挙するのと同じことに帰着するはずであり,あまり意味があるとは言えない。しかし抒情詩が伝統的にたえず取りあげてきた特権的な主題を,いくつか指摘しておくのは無駄ではあるまい。というのは,そこにはすべての人間にとってもっとも切実な,そしてもっとも重要な感情・情緒がおのずから現れているからである。
古来,抒情詩がもっとも熱心に取りあげてきた主題として,人生そのものにかかわる感情・情緒--生きる喜び,青春のはかなさ,老いる感情等々がある。恋愛もまた,抒情詩人にとって最上位に位置する主題である。そのほか自然に対する感情は抒情詩を養う重要な糧でありつづけたし,死に対する恐怖,あるいは孤独の意識,生きることに伴う倦怠や憂鬱が,近代になるにつれて,抒情の対象としてしだいに大きな影を広げてきたことはつけ加えるまでもあるまい。
近代ヨーロッパの詩の歴史を通観すると,時代によって詩のありかたは変遷しているが,それは集団的な感情を優位に置くか,個人的感情を優先させるかということにかかわっている。ルネサンスの時代から17世紀まで,個人的な感情を湧出させる抒情詩が隆盛であったのに続いて,古典主義の時代になると,非個人的な感情を雄弁風に表現することが重要とされる。ついでロマン主義の時代に移ると,詩はなによりもまず主観的な感情・情緒を表現する個性の文学であり,内面の深い魂の動きを自己表白する芸術であると考えられた。そして20世紀になって,シュルレアリスムが台頭するとともに,夢や無意識の表現としての詩に重点が移行し,抒情の質も根本的に変わることになった。また,それとともに,定型詩の拘束が大幅に緩んだことも付記しておく必要があろう。
抒情詩というものを主観的な感情・情緒を表現する詩歌という広義な意味に解すれば,それはどこの文学においても大きな位置を占めている。たとえば中国においても,後述のように最古の詩集《詩経》以来,思想表現の詩とともに,抒情詩は文学の主柱でありつづけた。
明治以降の日本においては,ヨーロッパ近代詩の影響のもとに,詩の領域の拡大,詩の革新を企てた新体詩の運動が,抒情詩の新しい展開を起動させる最初の力となった。そして〈初より覚悟して抒情詩の上にのみ十分の発達を遂げしむるに若(し)かずと信ず〉と述べた国木田独歩をはじめ,6人の詩人の作を集めたアンソロジー《抒情詩》などを通して,新しい抒情詩の観念はしだいに広がってゆくことになった。しかし日本文学における抒情性の問題を考える場合,明治以降の抒情詩の流れを見るだけではもちろん十分でない。短歌,俳句によって形成されてきた伝統的な抒情性を考慮にいれないかぎり,日本の抒情詩の特質を解明することは不可能である。
執筆者:菅野 昭正
中国においては,古くから詩は作者の感動が言語を通して外に表されたものと考えられた。したがって,叙事詩よりも抒情詩が発達した。作品のなかで過去のさまざまな伝承,あるいは史実,さらには現実の社会のことどもが述べられるのはもちろんだが,それは作者の感動を引き起こす契機や背景として働いているのであって,それ自体は作者のうたおうとする主眼ではない。作者の伝えようとするのは,あくまで自己の内面的感情と考えられた。中国の詩は《詩経》以来の長い伝統をもつが,その歴史は極論すれば抒情詩史であるともいえ,頂点となったのが唐詩である。唐代には詩形の面でも〈古体〉と〈今体(近体)〉の別が整然と定まり,詩人たちはそれぞれ適切な詩形を駆使して,自己の感情を高らかに歌いあげたのである。宋代に至ると,より理知的思弁的な詩風が支配的となって,自己の内面を率直に告白することが少なくなる。当時新興のジャンル〈詞(し)〉において,より自由に詩人の情感が表現されるようになったためと考えられる。〈詞〉は唐代に宴席の歌から起こった歌辞文芸であるが,宋代になると独自の形をもつ抒情詩として完成された。以来,中国の抒情詩は主として伝統的な〈詩〉と後発の〈詞〉という二つの形式をもつことになる。〈詞〉は元代以後メロディの伝承を断って一時衰退するが,17世紀清代になると再び抒情詩の一形式として盛んに制作されるようになった。
→詩 →叙事詩
執筆者:荒井 健
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…この結婚は半年で破局を迎えたが,このころから詩人的資質に目覚め,民友社系の《国民新聞》《国民之友》に浪漫的な詩を発表。これらは97年,宮崎湖処子,松岡(柳田)国男らとの共著詩集《抒情詩》にまとめられた。同年小説の処女作《源叔父(げんおじ)》を発表。…
…90年刊の《帰省》は,文明開化に汚染されぬ故郷への思慕をつづり,湖処子の田園文学の代表作となる。《湖処子詩集》(1893)や彼の編んだアンソロジー《抒情詩》(ほかに国木田独歩,松岡(柳田)国男,田山花袋など)(1897)中の新体詩は,農本的自然感情と宗教的敬虔さの融け合った清冽,平明な詩情を伝えている。評伝《ヲルヅヲルス》(1893)でワーズワースを本格的に紹介。…
… だが,それだからといって,韻文作品がすなわち詩であるということにはならない。韻文で書かれた伝承的英雄物語(叙事詩)や,韻文で書かれた運命劇(劇詩)は,かつてはそれぞれ詩の重要な一部門をなすと考えられていたが,今日ではむしろ,詩としてよりも物語として,演劇としての特性から評価される傾向にあり,詩はもっぱら抒情詩を中心として考えられるようになった。この傾向は,文芸思潮史の上では,西欧の18世紀後半から19世紀にかけてのロマン主義以降に顕著となったもので,時代的にははるかに遅れて発足した日本の新体詩においても,その最初期にこそ叙事詩や劇詩,さらには教訓詩などが試みられたものの,ロマン主義思潮の導入とともに同じ傾向を示すようになった。…
※「抒情詩」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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