留萌町(読み)るもいちよう

日本歴史地名大系 「留萌町」の解説

留萌町
るもいちよう

大正八年(一九一九)より昭和二二年(一九四七)まで存続した町。大正八年三泊さんどまり村の北部小平蘂おびらしべ村として分離。同一一年港湾の築港工事の進展とともに大留萌建設事業を策定して実行、事業としては留萌港の副港建設、留萌川の切替え、道路新設、橋梁架設、排水溝建設、廃川地の埋立、上水道敷設、中学校新築、郵便局昇格新築、港湾荷役施設の整備で、昭和三年に完工。事業の実施に際しては生保協会からの二五〇万円という起債に拠ったが、大正一四年の償還期限時には償還不能であった。昭和七年留萌―羽幌はぼろ(現羽幌町)間の鉄道が開通し、同八年には着工から二四年目にして留萌港が完成、同九年には町債問題も解決した。


留萌町
るもいちよう

明治四一年(一九〇八)から大正八年(一九一九)まで存続した町。明治四一年留萌村が三泊さんどまり村を合併し、一級町村制を施行して成立。同四一年の戸口は二千九五二戸・一万三千四六五人(留萌市史)。同四三年国有鉄道留萌本線(深川から留萌)が開通、内陸部との交通が可能となった。また同年念願の留萌港の修築工事が着手される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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