北海道北西部、日本海に面する市。1947年(昭和22)市制施行。留萌振興局の所在地。留萌川の流域を占め、河口に留萌港がある。市名はアイヌ語ルルモッペ(汐(しお)が奥深く入る川の意などとされる)を語源とし、留萌川に由来する。国道231号、232号、233号が通じる。旧国鉄羽幌線(はぼろせん)は1987年廃止。2023年(令和5)3月までJR留萌本線が走っていたが、市域区間が廃止されたため、鉄道路線はなくなった。江戸初期、松前藩はルルモッペ場所を設置し、中期には場所請負人による漁場開発が進んでニシン漁で栄えた。本格的な農業開拓は、1896年(明治29)鳥取県の団体入植で始まった。留萌港は1931年(昭和6)に完成、1936年国際貿易港として開港、石炭、木材の積出し港として発展し、1952年重要港湾に指定された。現在、大型・小型船係留施設、コンテナヤードなどの荷さばき施設、貯木場・セメントサイロなどの保管施設、石油配分基地、漁港区、緑地などがある。水産加工業が最重要産業で、数の子、たらこ、身欠きにしんの生産などで全国シェアの半分近くを占めることもある。市街は港を中心に段丘上にも延び、留萌川沿いの平地や海岸段丘上に田畑がある。市域の大部分は第三紀層からなる起伏の小さい山地が占め、国有林が多い。一部に夾炭(きょうたん)層がみられる。旧留萌佐賀家漁場(ぎょば)は国指定史跡、またその用具は国の重要有形民俗文化財。面積297.84平方キロメートル、人口2万0114(2020)。
[岡本次郎]
『『留萌市史』(1970・留萌市)』
北海道北西部の日本海沿岸にある町村を所管した北海道庁の出先機関。2010年(平成22)、支庁制度改革によって留萌振興局に改称・改組された。旧留萌支庁の所管区域は増毛(ましけ)、小平(おびら)、苫前(とままえ)、羽幌(はぼろ)、遠別(えんべつ)、天塩(てしお)、幌延(ほろのべ)の7町と初山別(しょさんべつ)村で、支庁所在地は留萌市。原則として市域は所管外であるが、留萌市を含む地域を意味する場合もあり、実務上も同市を含めて管内とされることが多かった。
1897年(明治30)の支庁設置の際は増毛支庁と称したが、1914年(大正3)支庁所在地を増毛から留萌に移して留萌支庁と改称。初め天塩国全域を所轄したが、1899年天塩国上川(かみかわ)郡を、1901年中川郡を上川支庁に移し、1947年(昭和22)市制施行により留萌市を分離、1948年豊富村(とよとみむら)を宗谷支庁(そうやしちょう)に移した。管内は日本海に面し、主要部は天塩山地の西斜面で、北部は天塩平野が広がり、南部は増毛山地の北麓(ほくろく)にあたる。遠別町が水稲の北限地で、北部は酪農地帯、中南部の河川沖積地などに田畑が分布する。森林面積が総面積の約81%、国有林が多い。沿岸はかつてニシン漁で栄え、現在はホタテガイ、ウニなど浅海養殖に力を入れている。
[岡本次郎]
北海道北西部,日本海に面する市。1947年市制。人口2万4457(2010)。市域の大半は第三紀層からなる丘陵性山地で,一部に炭層を含む。中心市街は留萌川河口の留萌港を中心に発達し,JR留萌本線が通る。また国道231号,232号,233号線の起点でもある。江戸時代初期,留萌川河口付近に松前藩がルルモッペ場所を設置,1751年(宝暦1)村山伝兵衛が場所請負人となり,以後ニシン漁の一中心として発展した。内陸部は1894年ころに植民地区画選定が行われ,本格的な開拓が始まった。留萌港は1932年に築港が完成し36年開港,留萌炭田などの石炭や木材を積み出した。52年重要港湾に指定され,現在はセメント工場,石油基地が立地する。スケトウダラ,ホッケ,カレイなどを漁獲するほか,かずのこ,たらこなどの水産加工業が主要産業となっている。農業は米を中心に野菜,ジャガイモなどを産し,畜産も行われる。留萌駅西方の黄金崎,南方の千望台からは天売(てうり)・焼尻(やぎしり)両島を望み,日本海の落日が特にすばらしい。
執筆者:奥平 忠志
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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