日本歴史地名大系 「畠山館跡」の解説
畠山館跡
はたけやまやかたあと
[現在地名]川本町畠山
荒川右岸の河岸段丘上に立地する中世館跡。標高は六六メートル。武蔵武士の畠山重忠の居館と伝える。畠山氏は平良文流秩父氏一族の嫡流で、武蔵国留守所総検校職となった秩父権守重綱の孫重能が、畠山庄の開発領主となったのが始まりとされ、重能と子息重忠は畠山庄司となっている(「尊卑分脈」など)。治承・寿永の内乱期に、重忠は源頼朝に従って活躍するが、文治三年(一一八七)一一月梶原景時が頼朝に重忠謀反の風聞を伝えた際には
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報