異部宗輪論
いぶしゅうりんろん
インドの仏教論書。7世紀の玄奘(げんじょう)の訳。サンスクリット原本は現存しないが、チベット語訳によりサマヤベードーパラチャナチャクラSamayabhedoparacanacakra(各宗義の違いを示す輪)と復元できる。本書は世友(せう)(バスミトラVasumitra)の作と伝えられているが疑問がある。インド小乗仏教の諸部派の分派史および各部派の主要な教義を記した書物。小乗部派の教義はほとんど説一切有部(せついっさいうぶ)のものしか伝えられていないので、他部派の主張を知るうえでも貴重な資料である。成立年代は不明だが、紀元2世紀を下るものではなかろう。なお、本書には仏滅年代とアショカ王即位年の差が約100年と明記されており、仏滅年代確定の一つの根拠ともなっている。ほかに異訳として『部執異論(ぶしゅういろん)』(真諦(しんだい)訳)と『十八部論』(鳩摩羅什(くまらじゅう)訳と伝えられるが疑問)の2漢訳、およびチベット語訳がある。
[加藤純章]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
異部宗輪論
いぶしゅうりんろん
Samayabhedoparacanacakra
インド仏教史の学匠の一人バスミトラ (世友) の1~2世紀頃の著。インド仏教教団史に始り,幾多の部派の分裂を記し,その各部派の教理を記す。この間のインド仏教教理史研究のうえで重要な資料。サンスクリット原典は発見されず,漢訳,チベット語訳のみ存在。
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世界大百科事典(旧版)内の異部宗輪論の言及
【上座部】より
…この十事を認める進歩派は,多人数であったので大衆部と呼ばれ,この除外例を認めない厳格派は少人数で長老上座が多かったので上座部と名づけられたという。一方,北伝の《異部宗輪論》によると,その原因は五事問題であったという。五事とは,修行者の達する究極の境地である〈阿羅漢(アルハットarhat)〉の内容を低くみなす五つの見解のことである。…
【説一切有部】より
…サンスクリットでサルバースティバーディンSarvāstivādinといい,有部と略称される。分派史《異部宗輪論》によれば,成立は前2世紀の前半である。その後しばらくして[迦多衍尼子](かたえんにし)が現れ《発智論(ほつちろん)》を著し,有部の体系を大成したという。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」