インド出身の訳経僧。サンスクリット名パラマールタParamārtha。西インド、ウジャインの出身。交州(こうしゅう)(ハノイ)在留中、梁(りょう)の武帝(蕭衍(しょうえん))の招聘(しょうへい)に応じて中国に渡り、広州を経て、548年建康(けんこう)(南京(ナンキン))に到着した。しかし、おりから梁末の動乱で、呉の富春(ふしゅん)、江西(こうせい)の予章(よしょう)、南康(なんこう)、始興(しこう)などに流浪を余儀なくされ、十分な訳場(やくじょう)も用意されずに苦労を重ねた。558年、予章から東海岸の晋安(しんあん)に赴き、ついで南越(なんえつ)を経て西帰しようとしたが機会を得ず、562年出航したものの台風のため広州に再上陸した。さいわい広州刺史(しし)欧陽(おうようぎ)(498―563)父子の保護を得て、ようやく安住し、569年71歳で示寂した。
この間、およそ50部120巻の翻訳と、経論の釈疏(しゃくしょ)などの著述があると伝えるが、現存するのは『決定蔵論(けつじょうぞうろん)』『大乗起信論(だいじょうきしんろん)』『金光明経(こんこうみょうきょう)』(一部)、『無上依経(むじょうえきょう)』『仏性論(ぶっしょうろん)』『中辺分別論(ちゅうへんふんべつろん)』『宝行王正論(ほうぎょうおうしょうろん)』『摂大乗論釈論(しょうだいじょうろんしゃくろん)』『倶舎論釈論(くしゃろんしゃくろん)』など30部である。真諦はこのうち『摂大乗論』の訳出と講釈を畢生(ひっせい)の任務とし、その弟子たちの間からのちに摂論(しょうろん)宗が生まれた。のちに玄奘(げんじょう)から批判されたとはいえ、無著(むじゃく)・世親(せしん)の唯識(ゆいしき)説の全貌(ぜんぼう)を最初に中国に伝えた点で、彼の功績は大きい。
[高崎直道 2016年11月18日]
『宇井伯寿著『印度哲学研究 第6巻』(1930・岩波書店)』
中国,南朝の梁・陳時代の外来僧。西インドのウッジャイニー国のバラモンの出身で,パラマールタParamārthaといい,漢訳して真諦と称した。梁の武帝の招きに応じ,扶南国から広州をへて548年(太清2)に建康(南京)に着いたが,侯景の乱にあい,各地を転々としながら,経論の漢訳と著述に専念した。無著撰《摂大乗論》などの唯識系統の論を訳し,〈摂論(しようろん)宗〉の祖とされ,またクマーラジーバ(鳩摩羅什)および玄奘(げんじよう)とともに中国仏教史上の三大翻訳家の一人といわれる。なお彼の訳と伝えられる《大乗起信論》は,疑問の書とされるが,中国や日本の仏教界・思想界に大きな影響を与えた。
執筆者:礪波 護
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