朝日日本歴史人物事典 「白倉村清助」の解説
白倉村清助
生年:寛保1?(1741)
江戸後期の義民。上野(群馬県)甘楽郡小幡藩領白倉村生まれ。天明1(1781)年武蔵・上野2カ国10カ所の絹改会所(端物並糸真綿貫目改所)設置に反対して西上州で起きた天明絹一揆の指導者で,改会所は中止されたが,遠島の刑に処せられ,八丈島に送られた。在島すること41年間で病死。同じ村の今助の子の清蔵が中追放(牢死)の刑となっている。ふたりは兄弟といい,白倉の円明院に「島流道覚居士」「流岳実良居士」の法名を刻んだ墓石がある。嘉永1(1848)年に建立されたものだが,建立者の名前は削られている。<参考文献>『甘楽町史』,葛西重雄・吉田貫三『八丈島流人銘々伝』
(小椋喜一郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報