白垣村(読み)しらかきむら

日本歴史地名大系 「白垣村」の解説

白垣村
しらかきむら

現大川市上白垣・下白垣、現大木おおき町上白垣に比定される中世の村名。三潴みづま西さい郷のうち。白垣郷ともみえる。年月日未詳の三潴庄地頭名主交名注文(東寺百合文書/鎌倉遺文二七)三潴庄の領家(四条家)の氏寺である法常住院領の六ヵ村の一つとして「白頭村」がみえるが、ほかの藤吉ふじよし(現久留米市)江上えがみ(現城島町)さかい村・上小法かみこぼ村・下小法村の分布から、白垣村をさすと推測される。白頭村の名主は弥二郎(弥次郎)入道道念であった。文永一一年(一二七四)七月一日の筑後守護大友頼泰請文案(田部文書/鎌倉遺文一五)は「三潴庄白垣村内弥二郎宗平田畠在家事」などの田畠・在家の員数に関する調査報告で、同日付で筑後守護所直人が提出した三潴庄白垣村等田畠在家注文(同上)には白垣内の宗平の田地を建長三年(一二五一)惣取帳に基づき三四町一段一丈中、弘長三年(一二六三)惣取帳に基づき二三町八段四丈と記す。これらはともに領家取帳とされている。この注文では宗平を本地頭とし、田地一八町九段、ほかに七段、在家二〇宇を宗平が召上げられた分として記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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