白峰宮
しろみねぐう
城山の北麓に鎮座。崇徳天皇を祀り崇徳天皇社・崇徳天皇明の宮などともいい、シラミネともよぶ。旧県社。「御領分中宮由来」「綾北問尋鈔」や社伝によると、長寛二年(一一六四)に讃岐の配流地で没した崇徳上皇の遺体は京からの沙汰を待つ間、八十場(弥蘇場)の野沢井の冷水に浸し置かれたと伝え、白峰山での荼毘後、野沢井の辺りで毎夜神光があったため明の宮という小祠を建てた。これが当社の始まりという。応永一三年(一四〇六)の白峯寺縁起も同様の伝えを載せ、「かの野沢の井の辺に社壇をかまへ天王の社と申侍り、正面門客人には為義・為朝父子の影像をつくりたり」と記すが、二武将像は現存しない。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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