日本歴史地名大系 「白河南殿跡」の解説 白河南殿跡しらかわみなみどのあと 京都市:左京区聖護院村白河南殿跡[現在地名]左京区聖護院蓮華蔵町・秋築町・石原町一帯平安時代末期に白河法皇によって造営された院御所。北殿(きたどの)に対して南殿という。北は大炊御門(おおいのみかど)大路末、南は二条大路末、西は仏所(ぶつしよ)小路を限る地に建てられ、南北に長く二町を占める。跡地は岡崎公園の西、二条通の北側の地。南殿は、もと前大僧正覚円の坊舎の地に嘉保二年(一〇九五)五月に造営された(中右記)。殿内の地形は「渡御泉殿、御覧新堂地形、遠山之体、前池之様宛如蓬莱歟」(「中右記」永久二年四月一四日条)と述べられている。この記事にある新堂とは、南殿の西に造営される蓮華蔵(れんげぞう)院のことで、同年一一月二九日に落慶供養が営まれている(中右記・百錬抄)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by