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鳥羽殿(読み)とばどの

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

鳥羽殿
とばどの

鳥羽離宮,城南 (せいなん) 離宮ともいう。京都市伏見区鳥羽にあった白河,鳥羽両上皇の離宮。白河上皇 (→白河天皇 ) は,応徳3 (1086) 年にここの経営に着手し,翌年ここに入った。鳥羽上皇も譲位後,この離宮に入り,殿舎仏殿の増築を行なった。白河上皇建立の南殿のほかに,鳥羽上皇が建てた北殿が広大な地域に立並び壮麗をきわめた。鎌倉時代以後は次第に衰微し,当時の面影を伝えるものは,東殿の一院である安楽寿院だけにすぎない。

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百科事典マイペディアの解説

鳥羽殿【とばどの】

平安京の南,鳥羽作道(とばのつくりみち)で結ばれる鳥羽の地に,11世紀末白河天皇が退位後の後院として造営した離宮。殿舎として南殿,北殿,馬場殿,泉殿,東殿,御所などがあり,のち鳥羽上皇により〈田中殿御所〉が建立され,あわせて〈城南離宮〉〈鳥羽離宮〉といわれて,14世紀ころまで使われた。殿舎には付属する御堂,塔などが建立された。証金剛院(しょうこんごういん),勝光明院(しょうこうみょういん),三重塔,成菩提院(じょうぼだいいん),安楽寿院(あんらくじゅいん),金剛心院(こんごうしんいん)などで,安楽寿院は鳥羽上皇の菩提所として建立されたものである。また離宮,諸御堂の鎮守社として城南宮(じょうなんぐう)が祀られていた。鳥羽一帯は水郷として平安時代初めから天皇,貴族の狩猟や遊楽の適地であり,9世紀末から10世紀初頭,藤原時平(ときひら)は別業(なりどころ)〈城南水閣〉を営み,11世紀には藤原季綱(すえつな)が山荘を営んでいる。季綱はその地を白河天皇に献上,白河天皇によって大規模な鳥羽殿の造営がなされたのである。跡地は現在の京都市南区上鳥羽,伏見区竹田・中島・下鳥羽一帯にあたり,全域およそ180町歩に及ぶ広大なものであった。鳥羽殿跡の発掘調査は1960年から行われ,南殿の大半,田中殿の半分,東殿の一部,北殿の一部などの建物遺構が確認され,舟着場跡,東殿の庭園跡などもみつかっている。中心部は鳥羽離宮跡公園として整備され,周辺に安楽寿院,城南宮のほか白河天皇,鳥羽天皇,近衛天皇の陵墓がある。公園内に残る秋の山(築山)は鳥羽山とよばれ,歌枕であった。

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世界大百科事典 第2版の解説

とばどの【鳥羽殿】

白河,鳥羽両上皇の離宮。洛南鳥羽の地は東を鴨川,西を桂川にはさまれた池沼の多い地域であったが,京に近く交通の便の良い景勝の地であった。この地に早く備前守藤原季綱が山荘を経営していたが,1086年(応徳3)白河天皇へ寄進し,天皇の後院(ごいん)として鳥羽殿が造営された。平安京の朱雀大路南端から京の南郊の鳥羽まで直線で南下する鳥羽作道(とばのつくりみち)を,鳥羽殿の西辺とし,道に沿って北殿と南殿が北と南に位置し,北殿の東に田中殿,その東に東殿が位置していた。

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大辞林 第三版の解説

とばどの【鳥羽殿】

院政期、白河・鳥羽両上皇が京都の南郊、鳥羽の地に造営した離宮。東殿・北殿・南殿の三殿に分かれていた。現存する安楽寿院は東殿の一院。鳥羽離宮。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

鳥羽殿
とばどの

1086年(応徳3)に白河(しらかわ)天皇の後院(ごいん)(譲位後の居所に定めた御所)として、洛南(らくなん)の鳥羽(京都市伏見(ふしみ)区・南区)に造営された離宮。鳥羽離宮ともいう。鳥羽作道(とばのつくりみち)(現鴨川(かもがわ))の東に180町もの地を占め、中島のある池や、北殿、南殿、東殿、馬場殿、泉殿などの殿舎があった。鳥羽上皇もこの離宮を居所とし、新たに田中殿御所を造営した。
 1101年(康和3)白河上皇が御堂(みどう)として証金剛院(しょうこんごういん)を造営して以来、鳥羽上皇の成菩提(じょうぼだい)院、勝光明(しょうこうみょう)院、安楽寿(あんらくじゅ)院、金剛心(こんごうしん)院などの御堂や塔が建立され、鎮守社として城南宮(じょうなんぐう)が祀(まつ)られた。鎌倉時代には、後鳥羽(ごとば)天皇がしばしば行幸して宴(うたげ)や競馬(くらべうま)などを催し、その後も後嵯峨(ごさが)・後深草院(ごふかくさいん)などに利用されたが、南北朝の内乱以来衰亡した。[吉田早苗]

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世界大百科事典内の鳥羽殿の言及

【平安時代美術】より

…また,白河上皇は法勝寺の近くに白河泉殿(1095)を造立し,のちに南殿,北殿の各御所が増築され,それぞれに御所施設とならんで堂,塔を並置するという御堂御所の新しい建築型がここに出現した。白河上皇が86年(応徳3)に離宮として創建した洛南の鳥羽殿も北殿,南殿,東殿,田中殿の各郭からなり,やがて鳥羽法皇にうけつがれ多数の御堂や塔が造立された。特に勝光明院(1136)は鳳凰堂を模したことで知られる。…

【離宮】より

…このころ吉野宮のためにも芳野監を設けているが,両離宮とも律令制の衰退とともに廃絶したらしい。1086年(応徳3)白河天皇によって造営が開始された鳥羽殿は,〈城南(せいなん)の離宮〉〈鳥羽の離宮〉といわれ,広大な地域に多くの殿舎が建てられたが,南北朝時代の兵火で退転した。修学院離宮は後水尾上皇の造営で,1655年(明暦1)の選地以下,一木一草に至るまで同上皇の指示によると伝え,59年(万治2)にほぼ完成してより,しばしば御幸があった。…

※「鳥羽殿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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