日本歴史地名大系 「白符村」の解説
白符村
しらふむら
近世から明治三三年(一九〇〇)まで存続した村名。近世は東在の一村で、白符川の流域、福島村の南に位置し、東は津軽海峡。白府村(支配所持名前帳)、白負(蝦夷草紙別録)などと記されることもあった。シャクシャインの戦に関連して「津軽一統志」に「しらふ 小船有 澗あり 家二十軒」とみえる。また「しらふ村より半里 をりかんない村迄」として「家数四、五十軒 船付の川有」と記される。「をりかんない村」は福島村のこと。元禄郷帳に「しらふ村」とあり、享保十二年所附に白府村と記される。天保郷帳は白符村とする。松前藩家老を勤めた松前景広の支配地とされ(「松前家家臣履歴書」中島家文書)、元禄一三年(一七〇〇)の支配所持名前帳によると松前藤兵衛(広保)の支配地。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報