日本歴史地名大系 「百浦村」の解説 百浦村ももうらむら 石川県:羽咋郡志賀町百浦村[現在地名]志賀町百浦小浦(おうら)村の北にある日本海沿いの村で、集塊岩の海岸は集落前面で入江となっている。海岸段丘の後背地に耕地がある。式内百沼比古(ももぬまひこ)神社鎮座地で、地名は百沼浦が縮まったものという(加能郷土辞彙)。中世には当地を中心とするいわゆる志加浦(しかうら)地区を桃浦(ももうら)と称した。寿永三年(一一八四)四月二四日の源頼朝下文案(賀茂別雷神社文書)によると京都上賀茂社領に「能登国 土田庄・桃浦」があった。承久三年(一二二一)九月六日の能登国田数注文には土田(つちだ)庄と並んで「賀茂庄 参拾町 往古庄也、不知年記」を記すが、桃浦の記載はないことから、桃浦は能登国衙では賀茂庄と了解されていたとみられ、土田庄の浦方をとくに桃浦と呼称したと考えられる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by