精選版 日本国語大辞典 「百済宮」の意味・読み・例文・類語 くだら‐の‐みや【百済宮】 舒明天皇の皇居。舒明天皇一一年(六三九)に都し、同一三年、この宮で崩御した。所在地は奈良県北葛城郡広陵町と推定。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「百済宮」の解説 百済宮くだらのみや 奈良県:橿原市鴨公・香久山地区高殿村百済宮「日本書紀」舒明天皇一一年七月条に「詔して曰はく、今年、大宮及び大寺を造作らしむ、とのたまふ。則ち百済川の側を以て宮処とす。是を以て、西の民は宮を造り、東の民は寺を作る。便に書直県を以て大匠とす」とみえ、翌年一〇月条に「是の月に、百済宮に徒ります」とある。また同一三年一〇月条には「天皇、百済宮に崩りましぬ」とあり、続いて「宮の北に殯す。是を百済の大殯と謂ふ」と記す。通説では現北葛城郡広陵(こうりよう)町大字百済とするが、舒明天皇の宮としてはこの宮のほかに飛鳥岡本(あすかおかもと)宮・田中(たなか)宮・厩坂(うまやさか)宮があり、いずれも現高市郡明日香村北部から現橿原市東部の地に求められることから、百済宮跡もこの付近にあった可能性がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報