大宮(読み)おおみや

精選版 日本国語大辞典 「大宮」の意味・読み・例文・類語

おお‐みや おほ‥【大宮】

[1] 〘名〙
[一] (「おお」は接頭語) 神、または天皇の御殿をさす。
① 神の御座所。神社。
(イ) 一般に神社、社殿をいう。
※書紀(720)舒明一一年七月「今年、大宮と大寺とを造作(つく)らしむ」
(ロ) 地方の神社で、その地方でもっとも格の高い神社を呼ぶ。
※風俗歌(9C前‐11C中か)鳴り高し「鳴(な)り高しや鳴り高し於保美也(オホミヤ)近くて鳴り高し」
② 天皇などの御所をいう。
(イ) 皇居。内裏(だいり)
※古事記(712)下「大宮より上り幸でまして、奴理能美の家に入り坐しし時」
(ロ) 天皇に準ずる人の御所、宮殿をいう。
※古事記(712)下・歌謡「意富美夜(オホミヤ)の 彼(をと)つ鰭手(はたで)(すみ)傾けり」
(ハ) (転じて) 宮廷、朝廷をさす。
※神楽歌(9C後)小前張「於保見也(オホミヤ)の小(ちひ)さ小舎人(こどねり)や」
[二] (「おお」は「若」に対して、年をとった人を表わす。「みや」は高貴な女性) 主として皇族をさす。
皇太后太皇太后の敬称。
※宇津保(970‐999頃)藤原の君「賀茂河に御ぐしすましに、大宮よりはじめ奉りて、小君たちまでいで給へり」
② 一般に、皇族、または皇族出身の年とった女性に対する敬称。
※源氏(1001‐14頃)葵「大臣(おとど)の御もてなしも心苦しう、大宮の御かたざまにもてはなるまじきなど、かたがたにさしあひたれば」
③ 男性の皇族。
※源氏(1001‐14頃)若菜下「大宮は『〈略〉さまざま物なげかしき折々多かるに〈略〉』とて、御しつらひをも、たちゐ、御手づから御覧じ入れ」
④ 母宮に対する敬称。
※源氏(1001‐14頃)総角「大宮は、いよいよ若くをかしきけはひなむまさり給ける」
[2]
※応仁広記(1711)二「東寺より大宮を上りに細川讚岐守が陣へ取入んと五条迄打出けれども」
[三] 賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)(=上賀茂神社)の第八摂社。京都市北区紫竹下竹殿町に鎮座し、賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)が祭神。明治五年(一八七二)に久我(くが)神社と改称。
[四] 比叡山東麓の日吉(ひえ)神社の七つの社のうちの一つをいう。日吉七社のうちで第一に位置する社。
[五] 静岡県富士宮市の地名。旧富士郡大宮町。浅間神社にちなむ。
[六] 埼玉県さいたま市の行政区の一つ。武蔵国一宮氷川神社の所在地。中山道の旧宿場町。東北・上越新幹線東北本線、高崎線、川越線、埼京線、東武鉄道野田線が通じる。昭和一五年(一九四〇)市制。平成一三年(二〇〇一)与野(よの)市、浦和市と合併してさいたま市となる。同一五年区設置。旧大宮市域の中心部を占める。
[七] 三重県中部、度会(わたらい)郡の旧町名。大紀町の北部にあたる。伊勢の皇大神宮(内宮)の別宮、滝原宮がある。阿曾温泉がある。
[八] 京都府北西部、京丹後市の地名。旧町名。丹後縮緬(ちりめん)の主産地の一つで、石灯籠が重要文化財の指定をうけている大宮売(おおみやめ)神社がある。
[九] 茨城県常陸大宮市の地名。旧町名。棚倉(太田)街道の旧宿場町。

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デジタル大辞泉 「大宮」の意味・読み・例文・類語

おお‐みや〔おほ‐〕【大宮】


㋐神の御座所。神社。
「今年―および大寺をつくらしむ」〈舒明紀〉
㋑天皇の御所。皇居。
天皇すめろきの神の尊の―はここと聞けども」〈・二九〉
《「おお」は年をとった人、「みや」は身分の高い女性の意》
皇太后太皇太后の敬称。
「―この夕暮れより御胸悩ませ給ふを」〈・東屋〉
㋑母である皇族の女性の敬称。
「―は、いよいよ若く」〈・総角〉
㋒皇族、または皇族出身の高齢の女性の敬称。
「―のせ給へりしを」〈・夕霧〉

おおみや【大宮】[地名]

埼玉県さいたま市中北部の区。旧市名。武蔵国一の宮の氷川ひかわ神社がある。江戸時代中山道の宿駅、明治期は鉄道の町として繁栄。上越新幹線東北新幹線分岐点で、県の商業中心地。→さいたま

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大宮」の意味・わかりやすい解説

大宮
おおみや

埼玉県南東部,大宮台地を中心として東部は綾瀬川,西部は荒川の沖積地に広がる地名。旧市名。1940年大宮町と日進村,三橋村,大砂土村,宮原村の 4村が合体して市制。1955年指扇村,馬宮村,植水村,片柳村,七里村,春岡村の 6村を編入。2001年に浦和市,与野市と合併し,さいたま市となった。中心市街地の大宮の名は武蔵国一の宮の氷川神社に由来。江戸時代には中山道の宿場町。1885年に高崎線と東北本線の分岐点となってから,鉄道の町として発達した。その後も JR川越線,埼京線,東武鉄道野田線が開通し,東北・上越新幹線の分岐点,これに沿って通る新都市交通ニューシャトルの起点ともなっており,交通の要地。1950年代以降,東京の発展とともに北部の衛星都市として急成長。住宅,工場,デパート,銀行の進出が著しい。第2次世界大戦前は生糸や輸送用機械が主であった工業も,戦後吉野原工業団地が開発されてから化学,輸送用機械,精密機械,電気機械などの工業が行なわれ,県下有数の工業生産を示す。県南のスポーツ,文化,商業の中心地で,特に大宮駅周辺では商店街が立体化・近代化され,活況を呈している。大宮公園の北には盆栽業者が移住して形成された盆栽村と呼ばれる地区がある。

大宮
おおみや

三重県中南部,大紀町北部の旧町域。宮川中流南岸に位置する。 1956年清原町,七保村が合体して大宮町が発足。地名は宮川と支流の大内山川から1字ずつとった。 2005年紀勢町,大内山村と合体して大紀町となった。中心地区の滝原伊勢神宮の別宮滝原宮の所在地。ほとんどが山林で,林業,米作,シイタケ栽培,和牛 (松阪牛) 飼育が行なわれる。秩父古生層の分布が広く,石灰石粉末を生産する鉱業所がある。宮川の支流大内山川にある大滝峡は渓谷美に恵まれ,釣り,キャンプに好適。付近にはサイクリングターミナル,青少年旅行村,阿曾温泉などがある。一部は奥伊勢宮川峡県立自然公園に属する。

大宮
おおみや

京都府北西部,峰山盆地の南半部を占める地区。旧町名。 1951年河辺 (こうべ) ,周枳 (すき) ,口大野 (くちおおの) ,奥大野,常吉 (つねよし) ,三重 (みえ) の6村が合体して大宮町が成立。 2004年4月,峰山町,網野町,丹後町,弥栄町,久美浜町と合併し京丹後市となる。丹後縮緬の産地で,河辺地区に丹後織物工業組合の本部および染色や加工の工場がある。農業は米作が主。ほかにスイカを産し,チューリップなどを栽培する。大宮売 (おおみやめ) 神社には重要文化財の石灯籠2基がある。

大宮
おおみや

茨城県北西部,常陸大宮市南東部の旧町域。久慈川那珂川の間に位置する町。 1889年町制。 1955年玉川村,大賀村,大場村,上野村の4村および静 (しず) 村,世喜 (せき) 村の各一部と合体。同年塩田村の一部を編入。 2004年御前山村,山方町,美和村,緒川村を編入し,名称変更および市制施行により常陸大宮市となった。米作,畜産などが行なわれ,上村田に独立行政法人農業生物資源研究所放射線育種場 (ガンマーフィールド) がある。

大宮
おおみや

静岡県東部,富士宮市の中心市街地。富士山南西麓にあり,浅間神社の門前町あるいは富士山の表登山口として発達した。山梨県甲府市にいたる JR身延線が通るほか甲府市,富士市,沼津市を結ぶ国道が整備され,山梨県と緊密な関係をもち,その商圏は甲府方面まで拡大している。岳南工業地帯の北端に位置し,そのベッドタウンとなっているほか,食品,精密機械,印刷,紙,パルプ,製材の各工場がある。

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百科事典マイペディア 「大宮」の意味・わかりやすい解説

大宮【おおみや】

富士山の南西麓,富士山本宮浅間神社(現静岡県富士宮市)の門前町で,駿河国富士郡に属した。早くからが立ち,町場が形成された。1566年今川氏真は富士大宮の六斎市を楽市(らくいち)とし,1580年には武田氏が大宮西町に新市を立て,同じく六斎市とされた。当地は大宮宿とも称され,甲斐と駿河を結ぶ街道(通称甲州街道・右左口(うわくち)路・中道往還)の宿場町でもあった。室町・戦国期には今川氏の重臣であった富士氏(富士浅間宮の大宮司)が領した。江戸時代ははじめ大宮浅間社領で,のち同社と幕府の相給。大宮町は神田(かんだ)町・中宿(なかじゅく)町・連雀(れんじゃく)町など18ヵ町からなり(駿国雑志),門前の神田橋および社人(しゃじん)町を中核として街道沿いに発達した。江戸時代中期以降材木や和紙の集散地となり,明治以降,昭和初期までは製糸工業で栄えた。1942年富士宮(ふじのみや)市となる。

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改訂新版 世界大百科事典 「大宮」の意味・わかりやすい解説

大宮 (おおみや)

富士山の南西麓,富士山本宮浅間(せんげん)神社の門前町。大宮神田の市に始まり,門前町として集落を形成した。甲斐と駿河を結ぶ甲州街道の宿場町,富士登山の表口の町として繁栄。富士大宮司家が支配し,室町時代には六斎市が立った。1566年(永禄9)今川氏真は大宮六斎市を楽市とし,門前の神田橋関を停止,80年(天正8)武田氏は大宮西町に新市を立てて六斎市とするなど駿甲連絡の要衝として重視した。江戸時代,大宮の町は神田町,中宿町,連雀町,伝馬町が連なり,神田橋から武田氏の立てた新市である西新町,北折して田宿町,新立宿,立宿町が町並みを形成。門前の神田橋および社人町を中核として甲州街道ぞいに発達した。江戸時代中期以降材木はじめ和紙の集散地としても発展し,明治以降昭和初期まで静岡県第一の製糸工業の町であった。生糸は身延線開通まで馬車鉄道が東海道鈴川駅に通じ,横浜へ送られた。1942年富士宮市となった。
執筆者:

大宮(埼玉) (おおみや)

大宮(茨城) (おおみや)

大宮(京都) (おおみや)

大宮(三重) (おおみや)

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事典・日本の観光資源 「大宮」の解説

大宮

(埼玉県さいたま市大宮区)
中山道六十九次」指定の観光名所。

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世界大百科事典(旧版)内の大宮の言及

【富士宮[市]】より

…人口11万9536(1995)。中心集落大宮は富士山本宮浅間神社(浅間神社)の門前町として,また富士山登山口として発達した。明治・大正には養蚕業が盛んであったが,1913年に富士~大宮間に富士身延鉄道(現,JR身延線)が開通し,東海道本線と結ばれると商業が発達し,第2次大戦前には沼津市と並ぶ県東部の中心都市であった。…

【埼玉[県]】より

…翌年支配地は埼玉,品川,小菅3県に分割),下総知県事(同前,葛飾県),岩鼻県,韮山県の管轄地となったが,なお幕末以来の忍(おし)藩岩槻藩川越藩,および半原藩,前橋藩,高崎藩などの飛地が錯綜していた。71年廃藩置県を経て諸県は統合され,荒川を境に浦和(大宮県が改称),忍,岩槻3県の管轄地を中心とした埼玉県(埼玉郡と足立・葛飾両郡の一部)と,川越,半原2県の管轄地を中心とした入間(いるま)県(新座以下13郡と多摩郡の一部)に二分されたが,73年入間県は群馬県と合併して熊谷県となった。75年埼玉県は千葉県葛飾郡の一部を編入,足立郡の一部を東京府へ移管し,さらに翌年熊谷県の廃県に伴い旧入間県域を併合して,ほぼ現在の県域が確定した。…

※「大宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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