デジタル大辞泉
「大宮」の意味・読み・例文・類語
おお‐みや〔おほ‐〕【大宮】
1
㋐神の御座所。神社。
「今年―および大寺をつくらしむ」〈舒明紀〉
㋑天皇の御所。皇居。
「天皇の神の尊の―はここと聞けども」〈万・二九〉
2 《「おお」は年をとった人、「みや」は身分の高い女性の意》
㋐皇太后・太皇太后の敬称。
「―この夕暮れより御胸悩ませ給ふを」〈源・東屋〉
㋑母である皇族の女性の敬称。
「―は、いよいよ若く」〈源・総角〉
㋒皇族、または皇族出身の高齢の女性の敬称。
「―の亡せ給へりしを」〈源・夕霧〉
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おお‐みやおほ‥【大宮】
- [ 1 ] 〘 名詞 〙
- [ 一 ] ( 「おお」は接頭語 ) 神、または天皇の御殿をさす。
- ① 神の御座所。神社。
- (イ) 一般に神社、社殿をいう。
- [初出の実例]「今年、大宮と大寺とを造作(つく)らしむ」(出典:日本書紀(720)舒明一一年七月)
- (ロ) 地方の神社で、その地方でもっとも格の高い神社を呼ぶ。
- [初出の実例]「鳴(な)り高しや鳴り高し於保美也(オホミヤ)近くて鳴り高し」(出典:風俗歌(9C前‐11C中か)鳴り高し)
- ② 天皇などの御所をいう。
- (イ) 皇居。内裏(だいり)。
- [初出の実例]「大宮より上り幸でまして、奴理能美の家に入り坐しし時」(出典:古事記(712)下)
- (ロ) 天皇に準ずる人の御所、宮殿をいう。
- [初出の実例]「意富美夜(オホミヤ)の 彼(をと)つ鰭手(はたで) 隅(すみ)傾けり」(出典:古事記(712)下・歌謡)
- (ハ) ( 転じて ) 宮廷、朝廷をさす。
- [初出の実例]「於保見也(オホミヤ)の小(ちひ)さ小舎人(こどねり)や」(出典:神楽歌(9C後)小前張)
- [ 二 ] ( 「おお」は「若」に対して、年をとった人を表わす。「みや」は高貴な女性 ) 主として皇族をさす。
- ① 皇太后、太皇太后の敬称。
- [初出の実例]「賀茂河に御ぐしすましに、大宮よりはじめ奉りて、小君たちまでいで給へり」(出典:宇津保物語(970‐999頃)藤原の君)
- ② 一般に、皇族、または皇族出身の年とった女性に対する敬称。
- [初出の実例]「大臣(おとど)の御もてなしも心苦しう、大宮の御かたざまにもてはなるまじきなど、かたがたにさしあひたれば」(出典:源氏物語(1001‐14頃)葵)
- ③ 男性の皇族。
- [初出の実例]「大宮は『〈略〉さまざま物なげかしき折々多かるに〈略〉』とて、御しつらひをも、たちゐ、御手づから御覧じ入れ」(出典:源氏物語(1001‐14頃)若菜下)
- ④ 母宮に対する敬称。
- [初出の実例]「大宮は、いよいよ若くをかしきけはひなむまさり給ける」(出典:源氏物語(1001‐14頃)総角)
- [ 2 ]
- [ 一 ] 「おおみやおおじ(大宮大路)」の略。
- [ 二 ] 「おおみやどおり(大宮通)」の略。
- [初出の実例]「東寺より大宮を上りに細川讚岐守が陣へ取入んと五条迄打出けれども」(出典:応仁広記(1711)二)
- [ 三 ] 賀茂別雷神社(かもわけいかずちじんじゃ)(=上賀茂神社)の第八摂社。京都市北区紫竹下竹殿町に鎮座し、賀茂建角身命(かもたけつのみのみこと)が祭神。明治五年(一八七二)に久我(くが)神社と改称。
- [ 四 ] 比叡山東麓の日吉(ひえ)神社の七つの社のうちの一つをいう。日吉七社のうちで第一に位置する社。
- [ 五 ] 静岡県富士宮市の地名。旧富士郡大宮町。浅間神社にちなむ。
- [ 六 ] 埼玉県さいたま市の行政区の一つ。武蔵国一宮氷川神社の所在地。中山道の旧宿場町。東北・上越新幹線、東北本線、高崎線、川越線、埼京線、東武鉄道野田線が通じる。昭和一五年(一九四〇)市制。平成一三年(二〇〇一)与野(よの)市、浦和市と合併してさいたま市となる。同一五年区設置。旧大宮市域の中心部を占める。
- [ 七 ] 三重県中部、度会(わたらい)郡の旧町名。大紀町の北部にあたる。伊勢の皇大神宮(内宮)の別宮、滝原宮がある。阿曾温泉がある。
- [ 八 ] 京都府北西部、京丹後市の地名。旧町名。丹後縮緬(ちりめん)の主産地の一つで、石灯籠が重要文化財の指定をうけている大宮売(おおみやめ)神社がある。
- [ 九 ] 茨城県常陸大宮市の地名。旧町名。棚倉(太田)街道の旧宿場町。
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大宮(埼玉県さいたま市)
おおみや
埼玉県南東部にあった旧市名(大宮市)。大宮台地中央部を占めた。現在の、さいたま市北西部(西区、北区、大宮区、見沼区と中央区の一部)にあたる(大宮区の大原6、7丁目は旧浦和市域)。1940年(昭和15)大宮町と日進(にっしん)、三橋(みはし)、大砂土(おおさと)、宮原の4村が合併して市制施行、大宮市が成立。1955年(昭和30)指扇(さしおうぎ)、馬宮(まみや)、植水(うえみず)、片柳(かたやなぎ)、七里(ななさと)、春岡(はるおか)の6村を編入、2001年(平成13)南に隣接する与野市(よのし)、浦和市と合併、さいたま市となった。大宮の地名は武蔵(むさし)国一宮(いちのみや)の氷川神社(ひかわじんじゃ)があることによる。旧大宮市地域の中心部は大宮台地であるが、東部は綾瀬(あやせ)川、芝川、西部は荒川の沖積地に広がる。JR東北・上越・秋田・山形・北陸新幹線、東北本線、高崎線、川越線、埼京線、東武鉄道野田線などの鉄道が会合するほか、新幹線の高架に沿って埼玉新都市交通(ニューシャトル)が通じる。また、国道17号と16号が走り、首都高速埼玉新都心線の新都心西出入口がある。
氷川神社の門前町として発達したが、江戸時代は中山道(なかせんどう)の宿場町であるとともに、近隣農村の交易の場として栄え、5、10の日には市(いち)が立った。明治以後、日本鉄道会社の大宮工場が建設され、鉄道の町として発達した。工業は、明治期から大正期にかけては生糸・鉄道関連産業が中心であったが、第二次世界大戦中に航空機、兵器関係の工場ができ、これをもとに戦後重化学工業化が進んだ。とくに、1963年の吉野原工業団地造成後は、化学、精密機械、電気機械工業が盛んで、県内有数の工業生産額を誇る。東京都心部から30キロメートル圏にあるうえ、交通の便がよいため、東京のベッドタウンとして多数の団地や住宅がつくられ、金融機関、デパートも進出して、県内商業の中心地となった。旧国鉄大宮操車場は1984年(昭和59)廃止され、跡地を中心とする「さいたま新都心」開発が計画され、2000年にまち開きした。業務用高層ビルが建ち並び、国の機関が移転、JRさいたま新都心駅も開業した。なお、新都心地区は、2001年の合併後はさいたま市中央区に属している。
氷川神社付近一帯は県立大宮公園で、野球場、サッカー場、博物館などがある。大宮公園北方にある「盆栽村」には十数軒の盆栽園があり、国内の愛好者のみでなく外国人の訪れも多い。近くに近代漫画の草分け北沢楽天(きたざわらくてん)を記念したさいたま市立漫画会館(旧、大宮市立漫画会館)がある。また、2007年に鉄道博物館がJR東日本大宮総合車両センターに隣接して開館した。年中行事では氷川神社の大湯祭(だいとうさい)(12月10日)が有名。
[中山正民]
『『大宮市史』全13冊(1968~1995・大宮市)』
大宮(茨城県)
おおみや
茨城県北部、那珂郡(なかぐん)にあった旧町名(大宮町(まち))。現在は常陸大宮市(ひたちおおみやし)の南東部を占める一地区。1889年(明治22)町制施行。1955年(昭和30)玉川、大賀(おおが)、大場、上野(かみの)の4村と、静(しず)、世喜(せき)、塩田の3村の各一部と合併。大宮の名を存続した。2004年(平成16)大宮町は山方町(やまがたまち)、美和村(みわむら)、緒川村(おがわむら)、御前山村(ごぜんやまむら)を編入し、市制施行して常陸大宮市となる。旧町域は、久慈川(くじがわ)と那珂川に挟まれ、沿岸低地、河岸段丘、丘陵山地よりなる。JR水郡(すいぐん)線、国道118号、293号が交わる。奥久慈と小瀬(おせ)の入口として交通上の要地で、官公署が多く商業も盛んである。近世以来、辰ノ口江堰(たつのくちえぜき)、岩崎江堰、小場(おば)江堰などの水利灌漑(かんがい)施設で水田が開け、葉タバコ、ネギなどの野菜栽培や、養鶏、肉牛飼育が盛ん。1960年代以降、電機、精密機械などの機械工業が増加し、南西部の若林に水戸北部中核工業団地も造成され(1991)、さらに企業が進出した。農林水産省の放射線育種場(ガンマフィールド)がある。
[櫻井明俊]
『『大宮町史――合併記念』(1958・大宮町)』▽『『大宮町史』(1977・大宮町)』
大宮(京都府)
おおみや
京都府北西部、中郡(なかぐん)にあった旧町名(大宮町(ちょう))。現在は京丹後市(きょうたんごし)の南東部を占める一地区。1951年(昭和26)口大野(くちおおの)、常吉(つねよし)、周枳(すき)、三重(みえ)、河辺(こうべ)、奥大野の6村が合併して町制施行。1956年五十河(いかが)村と長善(ちょうぜん)村の一部を編入。2004年(平成16)峰山(みねやま)、網野(あみの)、丹後、弥栄(やさか)、久美浜(くみはま)の5町と合併、市制施行して京丹後市となる(なお、この合併により中郡は消滅)。旧大宮町は、丹後半島の基部、北流して日本海に注ぐ竹野川の上流に位置する。竹野川に沿って京都丹後鉄道宮豊線が走り、国道312号が通じる。丹後縮緬(ちりめん)の一中心である旧峰山町に接し、機業農家が多く、峰山盆地に位置する口大野、周枳に集まっている。大宮売神社(おおみやめじんじゃ)の石灯籠(いしどうろう)2基(鎌倉時代)は国指定の重要文化財。
[織田武雄]
大宮(三重県)
おおみや
三重県中南部、度会郡(わたらいぐん)にあった旧町名(大宮町(ちょう))。現在は大紀(たいき)町の北東部を占める地域。旧大宮町は、1956年(昭和31)滝原(たきはら)町と七保(ななほ)村が合併して成立。町名は、地域を流れる大内山川と宮川から1字ずつとった。2005年(平成17)紀勢(きせい)町、大内山(おおうちやま)村と合併し、大紀町となる。集落は両河川に沿って散在し、地域の87%が山林。JR紀勢本線と紀勢自動車道、国道42号が通じる。滝原は皇大神宮の別宮滝原宮の所在地で、神事は神宮と同様に行われる。阿曽(あそ)には江戸時代からの温泉(炭酸水素塩泉)がある。過疎化の著しい山村であるが、全地域奥伊勢(おくいせ)宮川峡県立自然公園区域で、観光開発に力を注いでいる。青少年旅行村に指定され、体育館、キャンプ場、サイクリングターミナルなどの施設がある。松阪牛の和牛飼育も盛ん。
[伊藤達雄]
『『大宮町史』全2巻(1986、1987・大宮町)』
大宮(静岡県)
おおみや
静岡県富士宮市(ふじのみやし)の中心地区。旧大宮町。富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)の門前町。甲州路の要地、富士登山の表口の町として発展。
[編集部]
大宮(埼玉県秩父市)
おおみや
埼玉県西部、現在の秩父市(ちちぶし)の市街地およびその周辺地域をいった。秩父神社が鎮座するのでこの名がある。1916年(大正5)大宮町は秩父町と改称。
[編集部]
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大宮[市]【おおみや】
埼玉県南東部の旧市。1940年市制。中部は大宮台地で,東部は綾瀬川,南西部は荒川の低地。台地中央部の中心市街は古代武蔵国府の所在地で,武蔵国一宮氷川(ひかわ)神社の門前町であった。近世は中山道の宿場町として発達。1885年の東北本線開通,1895年の東部鉄道諸材料工場(現JR大宮工場)設置により交通都市となり,京浜東北線の電化で東京の衛星都市としても発展した。高崎線,川越線,埼京線,東武野田線なども通じ,東北,上越両新幹線の分岐点でもある。工業は第2次世界大戦前は製糸と輸送用機械を主としていたが,1960年代以降工業団地が造成され,化学,精密機器,一般機器などが盛んである。1980年代後半よりJACK大宮,ソニックシティなど,大宮駅を中心とする市街地の整備,郊外の住宅地化が著しい。氷川神社,大宮公園,その北に盆栽栽培で有名な盆栽町がある。2001年5月浦和市,与野市と合併してさいたま市となる。89.37km2。45万6164人(2000)。
→関連項目大宮[区]|北[区]|西[区]|見沼[区]
大宮【おおみや】
富士山の南西麓,富士山本宮浅間神社(現静岡県富士宮市)の門前町で,駿河国富士郡に属した。早くから市が立ち,町場が形成された。1566年今川氏真は富士大宮の六斎市を楽市(らくいち)とし,1580年には武田氏が大宮西町に新市を立て,同じく六斎市とされた。当地は大宮宿とも称され,甲斐と駿河を結ぶ街道(通称甲州街道・右左口(うわくち)路・中道往還)の宿場町でもあった。室町・戦国期には今川氏の重臣であった富士氏(富士浅間宮の大宮司)が領した。江戸時代ははじめ大宮浅間社領で,のち同社と幕府の相給。大宮町は神田(かんだ)町・中宿(なかじゅく)町・連雀(れんじゃく)町など18ヵ町からなり(駿国雑志),門前の神田橋および社人(しゃじん)町を中核として街道沿いに発達した。江戸時代中期以降材木や和紙の集散地となり,明治以降,昭和初期までは製糸工業で栄えた。1942年富士宮(ふじのみや)市となる。
大宮[町]【おおみや】
京都府北部,奥丹後半島の基部にある中郡の旧町。北の峰山から続く丹後縮緬(ちりめん)の産地で,織物工業組合の中央加工場がある。米を産し,畜産も行う。北近畿タンゴ鉄道が通じる。2004年4月中郡峰山町,竹野郡網野町,丹後町,弥栄町,熊野郡久美浜町と合併し,京丹後市となる。68.93km2。1万1074人(2003)。
大宮[町]【おおみや】
茨城県中北部,那珂(なか)郡の旧町。久慈(くじ)川の低地と丘陵地よりなる。中心市街は久慈川中流域の物資集散地で水郡(すいぐん)線が通じる。米作を中心として,タバコ栽培,養蚕,園芸,畜産などが盛ん。精機器具,電気機器,縫製などの製造業も行う。農林水産省放射線育種場がある。2004年10月東茨城郡御前山村,那珂郡山方町,美和村,緒川村と合併し市制,常陸大宮市となる。82.84km2。2万7445人(2003)。
大宮[町]【おおみや】
三重県中部,宮川中流部の山地を占める度会(わたらい)郡の旧町。主集落は紀勢本線が通じる滝原で,伊勢神宮の別宮滝原宮があり,古く神宮領であった。木材を多産し石灰石も産する。阿曾に鉱泉がある。2005年2月度会郡紀勢町,大内山村と合併し町制,大紀町となる。100.68km2。5322人(2003)。
大宮[区]【おおみや】
埼玉県さいたま市の中央部を占める区。2003年区制。旧大宮市の中心部に位置し,東北新幹線,上越新幹線ほか多数の路線が集まる大宮駅を中心に商業地,業務地がひろがる。大宮ソニックシティ,氷川神社,大宮公園がある。12.80km2。10万8488人(2010)。
→関連項目氷川神社
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大宮
おおみや
埼玉県南東部,大宮台地を中心として東部は綾瀬川,西部は荒川の沖積地に広がる地名。旧市名。1940年大宮町と日進村,三橋村,大砂土村,宮原村の 4村が合体して市制。1955年指扇村,馬宮村,植水村,片柳村,七里村,春岡村の 6村を編入。2001年に浦和市,与野市と合併し,さいたま市となった。中心市街地の大宮の名は武蔵国一の宮の氷川神社に由来。江戸時代には中山道の宿場町。1885年に高崎線と東北本線の分岐点となってから,鉄道の町として発達した。その後も JR川越線,埼京線,東武鉄道野田線が開通し,東北・上越新幹線の分岐点,これに沿って通る新都市交通ニューシャトルの起点ともなっており,交通の要地。1950年代以降,東京の発展とともに北部の衛星都市として急成長。住宅,工場,デパート,銀行の進出が著しい。第2次世界大戦前は生糸や輸送用機械が主であった工業も,戦後吉野原工業団地が開発されてから化学,輸送用機械,精密機械,電気機械などの工業が行なわれ,県下有数の工業生産を示す。県南のスポーツ,文化,商業の中心地で,特に大宮駅周辺では商店街が立体化・近代化され,活況を呈している。大宮公園の北には盆栽業者が移住して形成された盆栽村と呼ばれる地区がある。
大宮
おおみや
三重県中南部,大紀町北部の旧町域。宮川中流南岸に位置する。 1956年清原町,七保村が合体して大宮町が発足。地名は宮川と支流の大内山川から1字ずつとった。 2005年紀勢町,大内山村と合体して大紀町となった。中心地区の滝原は伊勢神宮の別宮滝原宮の所在地。ほとんどが山林で,林業,米作,シイタケ栽培,和牛 (松阪牛) 飼育が行なわれる。秩父古生層の分布が広く,石灰石粉末を生産する鉱業所がある。宮川の支流大内山川にある大滝峡は渓谷美に恵まれ,釣り,キャンプに好適。付近にはサイクリングターミナル,青少年旅行村,阿曾温泉などがある。一部は奥伊勢宮川峡県立自然公園に属する。
大宮
おおみや
京都府北西部,峰山盆地の南半部を占める地区。旧町名。 1951年河辺 (こうべ) ,周枳 (すき) ,口大野 (くちおおの) ,奥大野,常吉 (つねよし) ,三重 (みえ) の6村が合体して大宮町が成立。 2004年4月,峰山町,網野町,丹後町,弥栄町,久美浜町と合併し京丹後市となる。丹後縮緬の産地で,河辺地区に丹後織物工業組合の本部および染色や加工の工場がある。農業は米作が主。ほかにスイカを産し,チューリップなどを栽培する。大宮売 (おおみやめ) 神社には重要文化財の石灯籠2基がある。
大宮
おおみや
茨城県北西部,常陸大宮市南東部の旧町域。久慈川と那珂川の間に位置する町。 1889年町制。 1955年玉川村,大賀村,大場村,上野村の4村および静 (しず) 村,世喜 (せき) 村の各一部と合体。同年塩田村の一部を編入。 2004年御前山村,山方町,美和村,緒川村を編入し,名称変更および市制施行により常陸大宮市となった。米作,畜産などが行なわれ,上村田に独立行政法人農業生物資源研究所放射線育種場 (ガンマーフィールド) がある。
大宮
おおみや
静岡県東部,富士宮市の中心市街地。富士山南西麓にあり,浅間神社の門前町あるいは富士山の表登山口として発達した。山梨県甲府市にいたる JR身延線が通るほか甲府市,富士市,沼津市を結ぶ国道が整備され,山梨県と緊密な関係をもち,その商圏は甲府方面まで拡大している。岳南工業地帯の北端に位置し,そのベッドタウンとなっているほか,食品,精密機械,印刷,紙,パルプ,製材の各工場がある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
大宮 (おおみや)
富士山の南西麓,富士山本宮浅間(せんげん)神社の門前町。大宮神田の市に始まり,門前町として集落を形成した。甲斐と駿河を結ぶ甲州街道の宿場町,富士登山の表口の町として繁栄。富士大宮司家が支配し,室町時代には六斎市が立った。1566年(永禄9)今川氏真は大宮六斎市を楽市とし,門前の神田橋関を停止,80年(天正8)武田氏は大宮西町に新市を立てて六斎市とするなど駿甲連絡の要衝として重視した。江戸時代,大宮の町は神田町,中宿町,連雀町,伝馬町が連なり,神田橋から武田氏の立てた新市である西新町,北折して田宿町,新立宿,立宿町が町並みを形成。門前の神田橋および社人町を中核として甲州街道ぞいに発達した。江戸時代中期以降材木はじめ和紙の集散地としても発展し,明治以降昭和初期まで静岡県第一の製糸工業の町であった。生糸は身延線開通まで馬車鉄道が東海道鈴川駅に通じ,横浜へ送られた。1942年富士宮市となった。
執筆者:川崎 文昭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
世界大百科事典(旧版)内の大宮の言及
【皇太后】より
…令制によると,三后には[中宮職]が付置されるとあり,平安時代初期まではこの原則が遵守されたが,一后一職司制が成立して皇太后には皇太后宮職が付置されるようになった。江戸時代,皇太后を大宮といい,その居所を大宮御所という。【米田 雄介】
[中国]
皇帝の母の尊称。…
【富士宮[市]】より
…人口11万9536(1995)。中心集落大宮は富士山本宮浅間神社([浅間神社])の門前町として,また富士山登山口として発達した。明治・大正には養蚕業が盛んであったが,1913年に富士~大宮間に富士身延鉄道(現,JR身延線)が開通し,東海道本線と結ばれると商業が発達し,第2次大戦前には沼津市と並ぶ県東部の中心都市であった。…
【埼玉[県]】より
…翌年支配地は埼玉,品川,小菅3県に分割),下総知県事(同前,葛飾県),岩鼻県,韮山県の管轄地となったが,なお幕末以来の[忍(おし)藩],[岩槻藩],[川越藩],および半原藩,前橋藩,高崎藩などの飛地が錯綜していた。71年廃藩置県を経て諸県は統合され,荒川を境に浦和(大宮県が改称),忍,岩槻3県の管轄地を中心とした埼玉県(埼玉郡と足立・葛飾両郡の一部)と,川越,半原2県の管轄地を中心とした入間(いるま)県(新座以下13郡と多摩郡の一部)に二分されたが,73年入間県は群馬県と合併して熊谷県となった。75年埼玉県は千葉県葛飾郡の一部を編入,足立郡の一部を東京府へ移管し,さらに翌年熊谷県の廃県に伴い旧入間県域を併合して,ほぼ現在の県域が確定した。…
※「大宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」