… 江戸時代から明治にかけて盛んだった大衆演芸で,時流に合わずに消滅してしまったものも多い。たとえば,〈百眼(ひやくまなこ)〉などは江戸時代に大いに喜ばれたものであった。幾種類かの目鬘(めかつら)を取り替えて目つきを変え,変相して見せる芸で,文化・文政期に三笑亭可楽門人の三笑亭可上が名人といわれた。…
…もと俳優の身ぶり・声色(こわいろ)からでて,これに〈目鬘(めかつら)〉を使って顔面を変えるものが現れ,一種の座敷芸となった。天明(1781‐89)のころ,吉原の幇間(ほうかん)目吉なる者が始めたといわれる〈七変目〉または〈七つ目〉から,文化(1804‐18)のころに,落語家三笑亭可楽の門人可上が〈差(さし)目鬘〉のくふうを加え,〈百眼(ひやくまなこ)〉と称した。文政(1818‐30)のころ,都川扇玉という者が膝栗毛の弥次喜多のまねを演じて称された。…
…これが三題噺の創始であり,可楽は,こういう創作の才と話術の妙とをもって落語を職業として成立せしめ,優秀な門人を育成した。人情噺の祖朝寝坊夢楽(あさねぼうむらく)(夢羅久),怪談噺の祖初代林屋正蔵,音曲(おんぎよく)噺の祖初代船遊亭扇橋(せんゆうていせんきよう),現在の幻灯のような写絵(うつしえ)を見せた都楽(とらく)(1781‐1852),百面相(ひやくめんそう)のような芸で,いろいろの目かつらをつける〈百眼(ひやくまなこ)〉を見せた三笑亭可上(かじよう)など,多士済々の可楽一門だった。一方,可楽よりもやや先輩として活躍したのは,〈身振り声色(こわいろ)芝居掛り鳴り物入り〉元祖と称した初代三遊亭円生だった。…
※「百眼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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