百間町(読み)ひやつけんまち

日本歴史地名大系 「百間町」の解説

百間町
ひやつけんまち

[現在地名]西区立売堀(いたちぼり)五丁目

薩摩堀中筋(さつまぼりなかすじ)町・同納屋(なや)町の西にあり、百間堀(ひやつけんぼり)川に面した南北に細長い町。北と南を薩摩堀川河口と立売堀(いたちぼり)川河口に限られる。大坂三郷南組に属し、元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳では屋敷数一九・役数二〇役で、年寄は立売堀南側西之(たちうりぼりみなみがわにしの)町の吹田屋与一右衛門兼帯。百間堀川は土佐堀(とさぼり)川河口から立売堀川河口まで、江之子(えのこ)島の東沿いに南流する川で、一名雑喉場(ざこば)川とも称する。長さは当初五町一三間余であったが、明和四年(一七六七)の築地工事で五町五五間半に、さらに安永八年(一七七九)の江之子島開発で六町三二間半になった(大阪市史)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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