百首村
ひやくしゆむら
[現在地名]富津市竹岡
湊村の南西にあり、江戸後期には竹ヶ岡村と改称する。中世より百首とみえ、造海城(百首城とも)が築かれていた。白狐川流域の大釜戸にある要害などの一帯を君ヶ谷城として遺構の調査が行われているが、築城主などは未詳。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高一千六〇二石。寛永一〇年(一六三三)松平(能見)重則が加増により一万五千石で当地に入封するが、同一七年下野皆川(現栃木市)に転封となる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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