益山庄(読み)ますやまのしよう

日本歴史地名大系 「益山庄」の解説

益山庄
ますやまのしよう

万之瀬まのせ川の下流左岸、現加世田市益山付近にあった庄園。薩摩平氏の一族益山氏の名字の地とされる。永万元年(一一六五)七月日の寺家政所下文案(新田神社文書)によると、別府五郎忠明の地頭政所職が停止されているが、同職は当庄にかかわるものと考えられる。薩摩国建久図田帳に豊前宇佐弥勒寺領一九六町一段のうちとして「益山庄二十五町 加世田別符内下司塩田太郎光澄」とみえる。塩田氏の名字の地は肥前国塩田しおた(現佐賀県塩田町)とされる。建久八年(一一九七)一二月二四日の島津忠久内裏大番役支配注文(旧記雑録)にみえる益山太郎は、益山光澄の子の兼澄と考えられる。兼澄の代には、河辺郡司平太道綱が益山庄内上野畠(上野原ともみえる)を押領している(元仁二年三月日「弥勒寺寺家公文所下文」島津他家文書)。兼澄は建保元年(一二一三)頃にこの件で鎌倉幕府に訴訟を起こした(天福二年五月二七日「益山庄文書目録案」島津家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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