益山(読み)えきざん(その他表記)Iksan

改訂新版 世界大百科事典 「益山」の意味・わかりやすい解説

益山 (えきざん)
Iksan

韓国,全羅北道益山郡金馬面を中心とする,いわゆる益山の地は,三国時代百済の遺跡が多い。金馬面の街の南郊1kmほどのところには,幅約230m,長さ約450mの長方形平面をした土塁があり,益山王宮址と推定される。その南郭の王宮里廃寺跡には,五重石塔が残る。そこから,東方に約1.5kmのところにも,帝釈寺跡がある。王宮里から北方6kmあまりの弥勒山には,山城が築かれている。弥勒山の南西麓で,金馬面の街からは北西方に約3kmのところには,弥勒寺址があり,朝鮮半島で最大級の石塔が現存する。この塔の東方でも塔跡がみつかったが,東西2塔の中間で北寄りのところに,別の建物跡が知られ,3院からなる特殊な伽藍配置を示す。弥勒寺址の北西方およそ3km,蓮洞里には,光背を備えた石仏座像がある。また,弥勒寺址の直南3kmあまり離れたところに,石旺里双陵と呼ばれる大小2基の円墳があり,百済の武王とその後妃の陵とする伝承がある。これらの遺跡群は,主として百済後期の所産であり,京都市青蓮院所蔵の《観世音応験記》に,〈百済武広王遷都〉とみえることなどから,益山の地を,7世紀前半の武王の時期の別都とする見方が強くなっている。益山はまた,百済に先立つ馬韓50余国のなかの乾馬国に比定されている。また益山郡多松里出土の多鈕(たちゆう)粗文鏡をはじめ,数ヵ所の青銅器の出土地としても知られる。
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益山 (えきざん)
Iksan

韓国,全羅北道北部内陸の都市。裡里市が益山郡と合併して1995年に改称。人口32万3687(2000)。韓国の穀倉湖南平野の中心に位置する。湖南線と群山線,全羅線が分岐する交通の要衝にあたり,農産物集散地として商業が発達した。現在,農村振興院ほか農業関係諸機関が集中し,食品繊維など消費財工業も各種興っている。円仏教(仏教の新宗派)の総本山があり,その設立になる円光大学がある。
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百科事典マイペディア 「益山」の意味・わかりやすい解説

益山【えきざん】

韓国,全羅北道北西部,湖南平野の万頃江流域に発達した都市。裡里市が1995年に改称。湖南・群山・全羅3線の交差する交通の要地。また付近平野の農産物の集散地。輸出工業団地をもち,機械器貝,雑貨,醸造,織物,油脂などの工業がある。30万8000人(2005)。
→関連項目全羅北道

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