益田保(読み)ましたほ

日本歴史地名大系 「益田保」の解説

益田保
ましたほ

旧中島郡内の国衙領。現増田ましたの辺り。増田はその遺称であろう。

文和二年(一三五三)七月付の尾張国郷保地頭正税弁済所々注進状案(醍醐寺文書)に初めてみえ、尾張国衙領のうち「一円地」に対して「正税地」と称せられる所領の一つで、地頭荒尾氏により国衙領の領主醍醐寺三宝院に対し一五貫文の正税を弁済する請所が成立していた。荒尾氏は知多郡荒尾あらお(現東海市)を本貫とする国人で、応安二年(一三六九)には保内拾町名を妙興みようこう(現一宮市)に、翌三年には保内田地五町六反を京都竜翔りようしよう寺に、それぞれ売寄進・寄進しているが、当保に関する正税徴収等は、南北朝期においては保地頭として荒尾氏が行っていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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