日本歴史地名大系 「増田村」の解説
増田村
ますだむら
雄物川の支流
天正一八年(一五九〇)九月秀吉の奥羽検地に際し、
貞治四年(一三六五)
慶長七年(一六〇二)佐竹氏が入部し「東将監義堅を置かしむ。
増田村
ますだむら
- 宮城県:名取市
- 増田村
南東へ流れる増田川(青熊川)の中流自然堤防上にあり、東は下増田村、西は
観応三年(一三五二)四月二九日の吉良貞家軍勢催促状(名取熊野堂文書)に「於名取郡□□□田宿居関所」とあり、欠字部分は「南方益」もしくは「北方益」と考えられている。同状では、熊野堂別当御房に「益田宿」に関所を設け凶徒らの尋究など警固をするよう命じられており、当地一帯が北朝方の勢力下にあったと推定される。至徳三年(一三八六)一二月二日の石橋棟義預ケ状(相馬文書)によれば、名取南方「増田郷内下村大内新左衛門尉知行分」が兵粮料所として相馬胤頼に預けられている。
増田村
ますだむら
増田村
ますだむら
増田村
ますだむら
増田村
ましだむら
増田村
ましたむら
増田村
ましたむら
神通川中流左岸と
増田村
ましだむら
増田村
ますだむら
増田村
ますだむら
増田村
ますたむら
増田村
ますだむら
増田村
ますだむら
増田村
ましたむら
増田村
ますだむら
増田村
ますだむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報