日本歴史地名大系 「盛久頸座」の解説 盛久頸座もりひさくびざ 神奈川県:鎌倉市長谷村盛久頸座[現在地名]鎌倉市長谷一丁目平氏の家人主馬八郎左衛門盛久という武士が、源頼朝の命令で首を斬られようとした場所と伝える。また盛久敷皮跡ともよばれ、盛久が斬首されようとした際、皮を敷いたので、以後ちょうどその形で草が生えぬままに残っていたという(金兼藁)。六地蔵(ろくじぞう)の西、長谷(はせ)通の北側に江戸時代の庚申塔三基など石塔類が立っている。「平家物語」長門本などには、平氏の有力な家人主馬入道平盛国の末子盛久が捕らえられ、文治二年(一一八六)六月二八日に由比(ゆい)ガ浜で殺されようとした時、平生信仰していた京都清水寺の観音の奇瑞により一命を助けられ、頼朝から所領を安堵されたと記している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報