盛岡城下図(読み)もりおかじようかず

日本歴史地名大系 「盛岡城下図」の解説

盛岡城下図(寛永城下図)
もりおかじようかず

二三二×二六五センチ

写本 森肇

解説 盛岡城下の「寛永図」と称される絵図の一つ。写本は岩手県立図書館や盛岡市中央公民館にも残るが、いずれも後年の写で製作年代を欠く。町人町は具体名で、諸士町は侍町とのみ記され、諸士・町人とも屋敷に固有名・間数が載る。成立を「盛岡砂子」が引例する寛永図と同一視する説や、正保城下(内閣文庫蔵)の下絵図の転写図とする説などがある。


盛岡城下図(元文城下図)
もりおかじようかず

一六九・五×一七五センチ

成立 元文元年

原本 盛岡市中央公民館

解説 寛永図改訂の藩命を受けた坂牛孫左衛門らが作製したとされる。侍町・町人町・寺社など屋敷割によって色別し、諸士屋敷および寺社にのみ所有者名を記す。寛永図との比較において城下の拡大や、延宝期の北上川付替後の変化を物語る好資料。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む