目鏡橋・秀都橋(読み)めがねばし・ひでいちばし

日本歴史地名大系 「目鏡橋・秀都橋」の解説

目鏡橋・秀都橋
めがねばし・ひでいちばし

ともに野鳥(のとり)川に架かる橋。目鏡橋は眼鏡橋とも記し、江戸時代には秋月町の西の入口にあたる秋月街道の福岡口に架かる橋で、いわば秋月の凱旋門ともいうべき橋であった。天明五年(一七八五)に秋月藩八代藩主となった黒田長舒は、本藩の福岡藩九代藩主黒田斉隆が幼少であったことから、斉隆に代わって長崎警備役を勤め(同役は九代藩主黒田長韶の代の文化七年まで続けられた)、肥前長崎遊学中であった画家斎藤秋圃を召抱えるなど、長崎からさまざまな文化を導入した。目鏡橋は文化元年(一八〇四)に家老宮崎織部の発議で、長崎から石工職人を招き、長崎の眼鏡(めがね)橋をモデルとして着工された。しかしこの時は失敗、同七年の二回目の工事で架橋に成功した(この間の文化四年に長舒は急死)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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