直方町(読み)のおがたまち

日本歴史地名大系 「直方町」の解説

直方町
のおがたまち

[現在地名]直方市新町しんまち一―三丁目・殿町とのまち津田町つだまち古町ふるまち須崎町すさきまち日吉町ひよしまち・直方

現直方市域の中央西寄り、彦山川との合流点付近の遠賀おんが川中流左岸に位置する。東と南は下境しもざかい村、西と北は山部やまべ村。当地は古くは東蓮寺とうれんじ(東連寺とも記す)といったが、延宝三年(一六七五)に直方と改称した。東蓮寺の地は元来新入しんにゆう(同村枝郷山部村)の内で、倉久くらひさ(現宮田町)内山うちやま寺の末寺で東蓮寺と号する寺院があったことから東蓮寺とよばれたという(続風土記)。また直方の地名は当地の南東方に位置する上境村枝郷中泉なかいずみ村の旧称能方村から採用し、表記を改めたものという(同書、直方旧考)。天正一一年(一五八三)三月二日の杉統連預ケ状案(児玉採集文書/大日本史料一一―三)によると、同年二月一三日、杉統連は尾仲新佐に新入郷内の「東蓮寺」までの夜討を命じ、その際安永神九郎を討ち捕らえた恩賞として、新佐にさかい郷寺家分四〇町の代官職を預けている。

福岡藩成立後は同藩領となるが、元和九年(一六二三)から延宝五年、および元禄元年(一六八八)から享保五年(一七二〇)までは東蓮寺藩(延宝三年からは直方藩)領であった。元和九年に福岡藩の支藩東蓮寺藩が成立すると、寛永三年(一六二六)には当地に東蓮寺藩初代藩主黒田高政の居館(陣屋)が設けられ、一帯に町場(陣屋町、東蓮寺城下町)が形成された(続風土記)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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