直郷
ただごう
飯田湾に流入する鵜飼川流域の現宝立町の鵜飼・柏原・春日野一帯および上戸町地区に比定される。若山庄のうち。平安末期の珠洲樹文蓋付経筒外容器(愛知県立陶磁資料館蔵)刻書銘に「わかやまのみさうたゝのこうのちうにんおちのためひさ」とある。「直之郷内法住寺」(嘉暦三年五月二四日「日野資名御教書」法住寺文書)は若山庄領家日野家の祈願所として、鎌倉期以降郷内に勢力を伸長させた。明応八年(一四九九)一二月一二日、直郷栃平良義子良玄が三崎郷高勝寺に田地を寄進している(「栃平良玄田地寄進状」須須神社文書)。戦国期には守護代遊佐氏の知行地で(「能登内浦村々給人注文写」諸橋文書)、法住寺や菩提寺金峰寺を保護している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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