相導寺村(読み)あいどうじむら

日本歴史地名大系 「相導寺村」の解説

相導寺村
あいどうじむら

[現在地名]池田町大字会染(あいそめ) 相道寺(あいどうじ)

現池田町の中部、中山(なかやま)山地と高瀬(たかせ)川沖積平地の接点に位置する。相導寺という名の寺の存在からくるもので、隣村に半在家(はんざいけ)村があるが、相導寺の存在を明らかにしえない。

相導寺村は、江戸時代初期には池田郷に属していたが、寛永一五年(一六三八)から同一九年の間に作られたとみられている信州松本御領分村々高附帳には「高百八拾五石九斗二升三合 相道寺村」となって一村をなしている。

寛文六年(一六六六)に松本藩ではこの村の検地を実施したが、その検地帳(相馬保氏蔵)によると、村高一八二石六斗五升四合、役家数一五軒となっており、なおこの村高や家数は江戸時代末期までほとんど変化していない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む