相鹿瀬村(読み)おうかせむら

日本歴史地名大系 「相鹿瀬村」の解説

相鹿瀬村
おうかせむら

[現在地名]多気町相鹿瀬

野中のなか油夫ゆぶ五桂ごかつら各村の南にあり、南を宮川が流れ、熊野街道が村内を通る。集落は東西に分れている。

「太神宮諸雑事記」宝亀二年(七七一)九月二二日条に「大風洪水、仍滝原宮祭使并内人物忌等不参宮、於逢鹿瀬西小野、彼御幣祭悠基御膳次第御神態直会勤奉仕了」とあり、古くは逢鹿瀬と書かれた。同書同六年六月五日条に、「神(衍カ)民石部楯桙、同吉見私安良等、字逢鹿瀬志天鮎之間、逢鹿瀬寺小法師三人自寺出来、恣打陵楯桙等已了、仍楯桙等訴申於司庁、申文云、二所太神宮朝夕御料漁進依例役、各随身網鉤等臨逢鹿瀬川漁之程、件寺法師三人并別当安泰之童子二人等出来、且打穢所取御贄」と記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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