…家老間瀬(戸田)忠至(ただゆき)は城下出身者蒲生君平の《山陵志》を受けて,山陵奉行の任にあたり,高徳1万石を分与された。64年(元治1)筑波山の水戸天狗党は家老県信緝(あがたのぶつぐ)(六石)らに宇都宮藩の同調を求め,県は拒否したが,藩士で加わる者もおり,藩主戸田忠恕(ただゆき)は謹慎,5万石に削封のうえ,いったんは陸奥棚倉へ転封を命じられた。68年(明治1)戊辰戦争では,新政府側についたものの,日光へ敗走する大鳥圭介らと新政府軍の攻防の舞台となった。…
※「県信緝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
[生]1936.2.20. 千葉,臼井プロ野球選手,監督。佐倉第一高等学校から立教大学を経て,1958年に東京読売巨人軍(読売ジャイアンツ)に入団。右投げ右打ちの強打の三塁手として,入団 1年目に本塁...