真田丸跡(読み)さなだまるあと

日本歴史地名大系 「真田丸跡」の解説

真田丸跡
さなだまるあと

[現在地名]天王寺区餌差町

慶長一九年(一六一四)大坂冬の陣の際、大坂城の弱点とされる南方面の防御を強化するために大坂方の真田幸村が築いた出丸が真田丸で、円珠えんじゆ庵東北、現明星学園敷地付近にあった。元禄年間(一六八八―一七〇四)大坂三郷町絵図には「真田出丸跡」、宝暦二年(一七五二)の天王寺管内地図には「真田山」とみえる。ここはもとささ山とよばれた小丘陵であったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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