日本歴史地名大系 「東高津村」の解説 東高津村ひがしこうづむら 大阪府:大阪市天王寺区東高津村[現在地名]天王寺区東高津町・餌差(えさし)町・空清(からきよ)町・上本(うえほん)町五―六丁目・味原本(あじはらほん)町・城南寺(じようなんてら)町、南区上本(うえほん)町西(にし)五丁目など北平野(きたひらの)町の東に位置し、南は天王寺村。村域はほぼ上町(うえまち)台地上に展開し、一部は同台地の東側傾斜地にも延びる。西高津(にしこうづ)村とともに中世郡戸(こおと)庄に含まれ、戦国期には単に「かう津」「コウヅ」ともいった(南区の→郡戸庄 →西高津村)。近世には東西に分れ、東高津村は東成(ひがしなり)郡、西高津村は西成(にしなり)郡の村となる。元和初年の摂津一国高御改帳に東部(郡)戸村とみえ高二一一石余。支配は元和元年(一六一五)から同五年までは大坂藩松平忠明領、その後は幕末まで幕府領であったとみられる。村の北東部真田(さなだ)山の南側には餌差町があり、同町の名は明暦元年(一六五五)の大坂三郷町絵図にすでにみえる。 東高津村ひがしたかつむら 新潟県:上越市旧高田市地区東高津村[現在地名]上越市高津(たかつ)本高津(もとたかつ)村の東にあり、北に重(じゆう)川が流れる。天和三年郷帳に村名がみえ高七五石六斗余。元禄郷帳によると本高津村枝郷。近世末には高田藩預所。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by