矢倉野村(読み)やくらのむら

日本歴史地名大系 「矢倉野村」の解説

矢倉野村
やくらのむら

[現在地名]鳴門市大津町矢倉おおつちようやぐら

徳長とくなが村の西にある。南を吉野川(現旧吉野川)が東に流れ、西は大谷おおたに川が同川に流れ込む吐出し口となっている低湿地。北東木津野きづの村境から南東部徳長村に至る道と、東部の徳長村境から西の中喜来なかぎらい(現松茂町)に至る道があった。寛永二年(一六二五)に衛門五郎と次郎左衛門によって開発された木津村新村という(「申上書」山田家文書)正保国絵図には矢倉野村とみえ、二七七石余新田とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む