日本歴史地名大系 「矢田野用水」の解説 矢田野用水やたのようすい 石川県:加賀市矢田野用水江沼(えぬま)郡矢田野(現小松市)の開田のため、延宝八年(一六八〇)大聖寺藩が造成した用水路。動橋(いぶりはし)川の水を横北(よこぎた)村で取水、勅使(ちよくし)村・栄谷(さかえだに)村から那谷(なた)(現小松市)・分校(ぶんぎよう)両村境にある小手(こて)ヶ谷(だに)の掘割を経て矢田野に送るもので延長約一二キロ。延宝七年家老神谷内膳守政が広橋五太夫とともに水路の調査をし、翌年八月に完成させた。工事の最難所は山間にある小手ヶ谷の掘割で、幅七尺、山頂から水底まで五丈二尺もあり、夜通しの突貫工事の辛さから「三度ままくても小手ヶ谷はいやじゃ、いやな奉行衆の青竹に」「上に上奉行、下には小奉行、いやな小手ヶ谷の夜普請」の俗謡も生れた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報