矢部山城跡(読み)やべやまじようあと

日本歴史地名大系 「矢部山城跡」の解説

矢部山城跡
やべやまじようあと

[現在地名]矢部村矢部 城山

矢部川と御側おそば川の合流点の南西みやの標高六四二・五メートルのじよう山山頂にあった中世の山城。高屋たかや城ともいう。もと栗原氏、のち五条氏の居城。天正一五年(一五八七)と推定される六月一五日の浅野長吉等連署書状(五条家文書)に「其城」とみえ、長吉らは五条鎮定に対してその居城を破却するよう命じている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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