デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「矢野吉重」の解説 矢野吉重 やの-よししげ 1598-1653 江戸時代前期の画家。慶長3年生まれ。雲谷派の祖である雲谷等顔の弟子田代等甫(とうほ)にまなぶ。細川忠興(ただおき)・忠利父子につかえ,小倉城,熊本城,泰勝寺などの障壁画をかいたとされる。細川家の絵師矢野家の初代。承応(じょうおう)2年閏(うるう)6月6日死去。56歳。通称は三郎兵衛。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
朝日日本歴史人物事典 「矢野吉重」の解説 矢野吉重 没年:承応2.閏6(1653) 生年:慶長1(1596) 江戸初期の熊本藩の絵師。通称三郎兵衛。祖父は丹後(京都府)峰山城主矢野藤一。細川忠興・忠利父子に仕え,熊本城などに画作を残したと伝えられる。<参考文献>滝精一「肥後の画人矢野氏」(『国華』319号),同「矢野吉重の墨画に就いて」(『国華』638号) (川本桂子) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報